竹島に端を発する韓国の“嫌日?”感情は凄まじいものですね。竹島問題に安部総理の靖国神社参拝が火を付けた格好で、日本の歴史認識がやり玉に上がっています。大阪に住んでいると、焼肉、キムチをたべて、韓国はわりと普通の存在です(samsungは使っていませんが)。あれだけ騒ぐと、日本の世論そのものが右傾化してゆくのですが、その辺りは考えていないんでしょうか?。
 日本の歴史認識が非難されているので、そもそも日韓(朝)の歴史はどういった経過をたどってきたのか、ということを知るのも一興です。

 日韓関係で教科書で習うのは「広開土王碑(414)」で、この碑文には倭(≒日本)が新羅、百済を破ったこと、後に高句麗に敗れたことが書かれてあり、5世紀の半島で倭人が暴れていたことがうかがえます。次に出てくるのが任那日本府で、大和朝廷は任那日本府を足がかり半島に進出し、百済を助けて新羅と戦った(白村江の戦い663)と習いました。大和朝廷はこの戦いに負けて半島経営から手を引き、半島は新羅によって統一された、だったかなと思います。戦前に教育を受けたわけではありませんよ(笑、1970年頃の話です。
 その後、司馬遼太郎が、九州北部と朝鮮半島の南部はひとつの文化圏であり、人々は「ちょっとあっちに行ってくる」という感覚で対馬海峡を往来していたのではないかといういう文章に出会い、以来その気分できました。
 本書は、かなり「嫌韓」という意図が働いていますが、その司馬遼さん的気分を補完してくれる本です(だと思った)。