これが結論です。つまり、安定した市民生活を破壊する色恋や不義を描いた戯作者こそが、人間の真実の姿を描き得たのであり、「文学」だと云うわけです。ここには、世間の常識に迎合した小説、私小説に対する批判が隠されています。そして、「戯作者」という言葉には、人間の真実の姿を面白く語る戯作こそ本来の小説であり文学であり、そうした戯作が「もののありかたを変えてきた」のだということです。安吾の主張が含まれています。
このエッセーは、太平洋戦争が始まろうとするまさにその時、ラムネ氏を登場させ、安吾は「人間の文学を書く」戯作者になることを宣言しました。
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だいたいこれで2341文字(原稿用紙6枚)です。【坂口安吾について】を削れば2040字(5枚)程度になります。引用を減らせばもっとスリムになりそうです。
3枚にまとめてみました。
坂口安吾 ラムネ氏のこと
『ラムネ氏のこと』は、上中下に分かれています。上は、序論に相当します。評論家小説家が、ラムネ玉を発明した人は面白い奴だとかナントカ話している横から、ラムネ玉を発明したのはラムネー氏だと詩人が混ぜ返す話しを枕に、炭酸飲料のビンの蓋にラムネ玉を用いることを発明した「ラムネ氏」を偉大な発明家であるとします。
フグに話が及び、フグが食べられるようにようになるまでには、フグを食ってはならぬと遺言した太郎兵衛と、忘れず血をしぼつて食ふがいゝと遺言した頓兵衛がいたというのです。
次いで、信州の奈良原といふ温泉のキノコの話となります。フグの毒が、毒キノコに置き換わり。前節のフグを食べるために「十字架にかゝつて果てた幾百十の頓兵衛」に代わって、キノコ採りの名人が登場します。この名人は自分で採ってきたキノコに当たって死にます。その翌日には、村の人々はもうキノコを食べていたというエピソードが語られ、村人の中にもラムネ氏は存在せず、キノコに当たることを恐れて決してキノコを食べない作者もまたラムネ氏ではないと言います。
切支丹の伴天連(バテレン)が神の「愛」を日本の信者にどう伝えるか悩む話をマクラに、江戸時代の戯作者にラムネ氏を発見します。当時の日本では、「愛」という言葉は「不義(密通)」と同義語でした。神の「愛」や母性愛、恋愛の「愛」という、今日のプラスの意味が無かったようです。伴天連は「愛」に代わって「お大切」という言葉を発明します。そして日本人の中で、この「愛」を小説(戯作)という形で世に広めた人々が現れます。
愛に邪悪しかなかつた時代に人間の文学がなかつたのは当然だ。勧善懲悪といふ公式から人間が現れてくる筈がない。然し、さういふ時代にも、ともかく人間の立場から不当な公式に反抗を試みた文学はあつたが、それは戯作者といふ名でよばれた。(引用)
安定した市民生活を破壊する色恋や不義を描いた戯作者こそが、人間の真実の姿を描き得たのであり、「文学」だと云うわけです。ここには、世間の常識に迎合した小説、私小説に対する批判が隠されています。そして、「戯作者」という言葉には、人間の真実の姿を面白く語る戯作こそ本来の小説であり文学であり、そうした戯作が「もののありかたを変えてきた」のだということです。そこに安吾の主張が含まれています。
このエッセーは、太平洋戦争が始まろうとするまさにその時、ラムネ氏を登場させ、安吾は「人間の文学を書く」戯作者になることを宣言しました。