1942年仏リヨン、ゲシュタポに雇われた「私」が語る背徳と信仰の物語です。

 放蕩な父親と禁欲主義の母親というプロテスタントの家庭で育ち、斜視というハンディを背負った「私」は、12歳の時に老犬を組みしいた女中の腿の白さを見て快楽に目覚めます。と同時に、「私」の肉慾の目覚めは虐待の快楽を伴って開花します。アデンでアラビア人の少年を買い、虐待の快楽に酔いしれます。

 「私」は、肉体的欠陥と虐待嗜好という精神的欠陥を護るためにゲシュタポの拷問係(対ナチ協力者)となり、神学生のジャックは、キリスト者として人類の罪を背負いレジスタンスとなります。このふたりを繋ぐのが、「私」の斜視でありジャックの容貌の醜さです。欠陥をバネに、ひとりは拷問する側に、ひとりは拷問される側に立つことになります。