ガーデンブリッジから上海大厦(ブロードウェーマンション、児玉機関もあった)を望む。
ゾルゲと尾崎秀実はこのガーデンブリッジで落ち合い、何処ともなく消えたのでしょう。私が上海へ行っていた頃は、デートの名所でした。

 上海でゾルゲが組織した諜報組織です。
ソ連諜報グループ
1)ジムもしくはレーマン・グループ
 赤軍第四部本部派遣。主に上海と中国各地、モスクワ間に無線通信の設備を設置するのが任務。クラウゼンは最初このグループに属していた。無線設備をゾルゲに引き継いで解散した模様?。

2)ハルピン・グループ(満州)
 赤軍第四部本部派遣、リーダーはオット・グレムベルグ。任務は満州の軍事情報の収集。ゾルゲ情報の中継役を担当し、資金もこのルートでゾルゲに届いた。このグループとの連絡方法について、ゾルゲはこう書いています、

 ハルピンからグループの誰かが上海にやってきて「郵便ポスト式通信」方法の技術的な打ち合わせを行った。そのあとで、ハルピンと上海の双方のグループから代わる代わる人を出して両地間を旅行させ、郵便屋の役を務めさせたのであった。

何のことはないハンドキャリーじゃないですか。クラウゼンもこの役をこなし、ゾルゲ自身も1933年春自らやっています。

3)フローリッヒ・フェルトマン・グループ(上海)
 赤軍第四部本部派遣。リーダーのフローリッヒ・フェルトマンはソビエト陸軍少将。任務は中共軍との連絡、中共軍についての情報収集。『彼らは使命を果たすことができず1931年上海を去った』。

4)コミンテルン・グループ(上海)
 政治班と組織班に分かれ、組織班のリーダーはノウスレン(『ノウスレン事件』によって検挙)、後カール・レッセ。組織班の任務は、コミンテルン、中国共産党、及び上海コミンテルングループの政治班との連絡及び非合法活動の援助、資金の仲介。
 政治班のリーダーは(ゾルゲと旧知の)ゲルハルト。任務はコミンテルン総会で議決された事項の中国共産党への伝達、コミンテルンとの情報交換の仲介、中国の労働問題のコミンテルンへの報告。『ノウスレン事件』により解散の模様。

 ゾルゲはジムの後任として上海に派遣されていますが、任務の性格上各グループとは没交渉であり、ハルピングループとは郵便ポスト以上の接触は無く、他のグループとも任務の連携はしていない様です。中国共産党とはモスクワより接触を禁じられていました。

 赤軍、コミンテルンだけでもこれだけのグループがいるのですから、アメリカ、ヨーロッパ列強、日本といくつもの諜報グループがあり、魔都・上海で諜報戦にしのぎを削っていたのでしょう。