世界革命から一国社会主義への政策転換(スターリン)により、コミンテルンも世界のソビエト化を目指す組織からソ連国益の組織へと変貌を遂げます。ゾルゲがコミンテルン諜報部から赤軍第四部に移った経緯もこの政策変更の影響といえます。従ってゾルゲの諜報活動は、コミンテルン諜報員の活動からソ連共産党、赤軍第四部の諜報員としての広汎な諜報活動へと変化したこととなります。ゾルゲは1930年1月に上海に上陸し、中国での諜報活動を開始しますが、ゾルゲによると、中国、後日本での活動は自発的なものであったと述べています。

中国革命と日本の満州進出(建国は1931年)はソ連に大きな影響を及ぼす事件である(1929年に中東路事件と呼ばれる中ソ紛争が起きている)。
中国と日本はソ連の安全保障上懸念される国であり、ヨーロッパにおける各国の勢力均衡に重大な影響を及ぼす可能性がある。

 この二つの分析によりゾルゲはヨーロッパから極東へとその活動の場を移し、ソ連共産党、赤軍第四部はこれを歓迎したということです。