井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」です。直弼は勅許を得ずに独断でアメリカと条約を締結し、自分の政治を批判する勢力にたいして「安政の大獄」で臨むなど、やりたい放題。時代の思潮は尊皇攘夷で、天皇を無視して夷狄(外国)と条約を結ぶなどもっての他で、井伊直弼は国賊。こういう政治状況の中では、直弼を倒せば時代が変わるという「暗殺」の論理が生まれるわけです。折から将軍継嗣問題が起き、内憂外患に島津斉彬等「幕末の四賢侯」が絡むという複雑な政治状況。
当時の実力大名であった水戸藩主・徳川斉昭を中央から遠ざけるなどの専横から、井伊直弼は水戸藩士の恨みを買っていたわけです。おまけに水戸は「尊皇攘夷」の総元締め。こうした状況の元で水戸(脱藩)浪士による井伊直弼暗殺事件が起きます。
これを包括的に描くとなると相当に大変で、映画(小説)は暗殺の指揮をとった関鉄之介を中心に据えて、この複雑怪奇な幕末の政治状況の中で、水戸藩士が井伊暗殺へと傾斜してゆく様を描きます。物語の中心は、暗殺そのものよりも暗殺後の鉄之介等の運命です。天下国家の為と信じて決行した暗殺によって鉄之介等は罪人となり幕府に追われます。井伊暗殺は天下のためでもあり、井伊によって蟄居させられた水戸藩主・斉昭の恨みをはらすことでもあったはずですが、徳川御三家でもある水戸藩主斉昭は、暗殺犯である藩士の徹底捜索を命じます。斉昭に暗殺を命じられたわけではありませんが、尊皇攘夷の水戸藩にあっては「桜田烈士」と呼ばれる鉄之介等を捕らえて幕府に突き出すことは、思想的には裏切りであり「梯子を外す」ことです。
鉄之介をはじめとする井伊暗殺の実行犯18人は時代に翻弄された跳ね返りだったのでしょうか、それとも明治維新という「革命」が要求した生贄だったのでしょうか。
映画の中で、斉昭から暗殺に加わった藩士の断罪を指示される武田 耕雲斎は、この後「天狗党の乱」を起こし斬首されます。水戸藩は藤田東湖を出し斉昭、慶喜を出し、桜田門外の変、天狗党の乱を起こしましたが、水戸県ではなく茨城県です。
で、映画としてはどうなんだと言うと、原作に忠実に作ってありますが、かえって忠実な分「桜田門外の変」は少し重荷だったのではないかと思います。「桜田門外の変」「忠臣蔵」「二.二六事件」と、日本的叙情と暴力には雪が似合います。
桜田門外の変 自刃
監督:佐藤純彌
出演:大沢たかお 長谷川京子 伊武雅刀 北大路欣也 柄本明