引き続き児島襄 の『満州帝国  Ⅱ』です。Ⅱでは、1932年の満州国建国から帝政を経て、日ソ中立条約で守られた筈の満州にソ連の参戦が迫る1944年までを扱っています。
 満州事変(柳条湖事件)の勃発が1931年9月18日、満州国誕生が翌1932年3月1日、わずか5ヶ月で国家が誕生したわけです。満州国をデザインしたのも、満州事変を起こした関東軍。良くも悪くも、満州国は関東軍の自作自演です。
 以下、感想というより個人的なメモです。 

【共和国】
 1931年1月、柳条湖事件を引き起こした関東軍参謀板垣大佐は、「満蒙中央政府設立案」を携えて陸軍中央と国家設立の協議に入ります。其の内容は

①奉天省、吉林省、黒竜江省、熱河省、蒙古省を統括する中央政府を樹立する。
②各省代表による政務委員会を組織して政府機構の研究準備をおこなう。
③中央政府は、2月下旬または3月上旬ころに国連調査委員会(リットン調査団)が来るまでに設置する。
④満州を独立国家とする。
新国家の首脳者は「(廃帝)溥儀を充つ。其の名所は大総統以下の適当なる名称を付し、復辟的傾向を避くる如くす」

といもので、主要産業を国有化する「社会民主主義共和国」に似た政治体制を採用するというものです。