- 日記(2013)
【関東軍の弱体化】
この南進のために関東軍の兵力が割かれ、戦局が押し詰まった1945年には南進に加えて、本土決戦のために満州から3個師団兵力が本土へ転用されます。そのままでは対ソ戦略に支障をきたしますから、「根こそぎ動員」によって員数を合わせため、実態は、訓練の不足した兵士と武器の足りない関東軍だっというわけです。
この辺りは『終わらざる夏』の45歳の翻訳家・片岡直哉、、満州から占守島に写された戦車連隊の大島准尉の世界です。
この兵器兵力不足のため、関東軍は『関東軍作成計画(1944.1月)』を作成し、戦線を縮小後退して新たな防衛ラインを設けてソ連軍を迎え撃とうとします。関東軍が想定した防衛ラインは、
この辺りは『終わらざる夏』の45歳の翻訳家・片岡直哉、、満州から占守島に写された戦車連隊の大島准尉の世界です。
大連-奉天-鉄嶺-四平街-新京
新京-吉林-敦化-図們
鴨緑江
を結ぶ線を辺とした「通化“デルタ三角地帯”」です。
ソ連との開戦となれば、部隊は玉砕覚悟で抗戦し、その敗残兵と関東軍司令部、在留邦人ををこの三角地帯に集めて抵抗の拠点にしようというわけです。
このデルタ三角地帯を地図上に引いてみると唖然とします。満州国の広大さに比べ、三角形のいかに小さいことか。さらに三角地帯の中心・通化(画像の赤丸)の山中に兵器、燃料、食料を集積し、自給のための工場を移設し持久戦持ち込もうという構想を立てます。満州各地に散った日本人を置き去りにして、関東軍はこの三角地帯に逃げ込もうということです。