この共同体が危機に晒されます。修道院の付近までイスラムのテロリストが出没し、アルジェリア政府軍は修道士を護るために駐留しようと提案します。院長のクリスチャン(ランベール・ウィルソン)はこれを断ります。銃に護られた修道院の姿は信仰に反すると考えたようです。
ついに武装テロリストが現れ、負傷した仲間のために修道院の医師リュック修道士(マイケル・ロンズデール)を連れ去ろうとします。この時はリュックの老齢と持病をたてに断り、事なきをえますが、無抵抗のフランス人はテロリストの格好の標的です。フランス政府も修道士たちに帰国命令を出し、修道院を出てゆくか留まるかの岐路に立たされます。
8人は今後の行動を論議するも答えは容易に出ません。クリスチャンが採決をとると、出てゆく者3名、留まる者3名、保留1名。運命は神に委ねる、生きることを再優先に考えるべきだ、ここ以外に生活は無い、など意見は様々です。
院長のクリスチャンは、我々は枝に止まった小鳥のようなものだ、と村人に退去を匂わせますが、村人は、我々こそ小鳥だ、枝が無いと小鳥は翼を休めることができない、という会話が出てきます。
各修道士の自由な選択に任せればよさそうなものですが、信仰の問題なのか、長期間にわたって築いてきた修道院と村の関係なのか、どうもそう簡単にはにゆかないようです。
決定を先に伸ばしたまま、修道士達の祈りと労働の日々が静かに流れ、修道院を去ると発言した修道士に回心が訪れます。何が彼を翻意させたのか映画では明らかにされません。
所用で外出していた修道士が戻り、9人がテーブルを囲んで葡萄酒を添えた晩餐が始まります。音楽は何故か「白鳥の湖」。荘重なBGMにのって、9人の修道士がロングショットで映されます。「最後の晩餐」です。
このシーンを見ると、修道院を去ると発言した修道士に回心がよく分かります。共に祈り、共に暮らした歳月が作り上げた絆ですね。信仰に基づく共同体の、もっとも原始的な姿を見る思いです。すおそらく、キリスト教が生まれた頃の、まだ教団とは呼べない、信仰集団の姿ですね。
その深夜、イスラム過激派が修道院を襲い7人の修道士を誘拐します。静から動へと映画は一転。修道士を人質に過激派は仏政府に仲間の解放を要求します。交渉がどうなったのか?、7人の修道士は処刑されます。・・・という映画のなかに何を見るかです。
邦題は“神々と男たち”、原題は“DES HOMMES ET DES DIEUX”、英題は“OF GODS AND MEN”。キリスト教は一神教なのに、タイトルの神は複数形です。「殉教」によって修道士たちが神になったのか、テロリストや村人が信じる神はイスラム教ですから、ふたつの神が存在するところから複数形なのか、戦いで死んだテロリスト、テロで死んだ市民も含めてDIEUX(神々)なのか。そうすると、HOMMESというのは誰なのか・・・とまぁ見終わった後いろんな想念、雑念が頭のなかでぐるぐる回る映画です。
でお薦めかというと、これは難しいです。
監督:グザヴィエ・ボーヴォワ
出演:ランベール・ウィルソン マイケル・ロンズデール