昭和21年(1946)8/31~12/6まで「東京読売新聞」に連載された、織田作之助33歳の作品です。
 この年織田作は、戦後の開放感に酔ったかのように『世相』『競馬』などの名作を次々に発表し、『夜の構図』『土曜夫人』の連載を開始しています。東京文壇に挑戦するかのような評論『可能性の文学』を遺書として、翌昭和22年1月には亡くなっています。喀血のため85回で連載を撃ち切ったこの『土曜夫人』が、絶筆かもしれません。

 織田作は『可能性の文学』で、志賀直哉を頂点とする既成文壇と、冒険をしないチマチマとした権威主義「文学」を激しく批判します。坂田三吉の奇手を例に引き、文学は定石を破って人間存在の可能性を描くことだと結論付けます。さすれば、作家はこの『土曜夫人』で、定石破りの「坂田の端の歩突き」を駆使し、理想とした「可能性の文学」を目指したはずです。