昭和15年に『俗臭』が芥川賞候補となり、『夫婦善哉』が改造社の第一回文芸推薦作品となって「文芸」に再録され、創元社から刊行されています。この年に日本工業新聞を辞めて作家生活に入っていますから、「織田作」誕生の年です。
 昭和16年に三高時代のデカダンスを描いた『青春の逆説』が発禁処分となり、以降当局を刺激しない小説へと方向転換したようです。17年には『わが町』を発表し、18年には『わが町』がエノケン一座他で舞台化されます。また、19年には『清楚』『木の都』が川島雄三によって映画化され、織田作自身も脚本に参加しています。20年には『猿飛佐助』他がNHKの放送劇となって放送の世界に足を伸ばしています。
 21年には、敗戦で表現の自由を得た織田作は、新聞、雑誌に続々連載小説を発表し始め一躍流行作家となります。