村の農業祭でロドルフはエンマを口説きます。
《・・・諸君、私の言わんとするのは、あの皮相な英知ではなく、有閑人種のもてあそぶ無駄な飾りの英知でもなく、何をおいても有益なる目的の追求に専心する多大なる英知であって、かくして各人の利益と全体の向上と国家の維持に貢献するものです、これぞ、法律の遵守と義務の遂行の成果にほかなりません……》・・・演説
『義務!義務!』と唱えたてるのですから。いかにも、ごもっとも、義務とは、気高いものを感じ、美しいものを愛することで、社会のあらゆる約束事や社会のもたらす卑劣な行為を受け入れることではありません」・・・ロドルフ
「でも……でも……」とボヴァリー夫人は反対した。
演説と、それを巧みに取り込むロドルフの口説き文句が交互に描かれます。ロドルフはボヴァリー婦人の手を握り、最初は振りほどいたものの、婦人はやがて手を預けるようになります。ロドルフの目論見通りオチたわけです。男の巧妙なところは、1週間空けてエンマを訪ねるあたり、
私はあなたのことを絶えずおもっています!…あなたの記憶が私を絶望へと誘うのです。お別れします…私は遠いところへ行きます…それにしても……今日はまた……どういう風の吹き回しで、またしてもあなたのもとへと背中を押されたのでしょう! というのも、人は天と戦うことができないからですし、天使の微笑には抗えないからです! 人は美しいもの、魅力的なもの、あがめるべきものに駆り立てられるからです!
エンマを焦らし、エンマの想いが募ったところで、いきなり別れ話と歯の浮くような愛の告白。
こんなことを言われるのはエンマにとってはじめてで、そして、彼女の自尊心は、蒸し風呂に入ってくつろぐ人のように、この言葉の熱気を浴びて全体がふにゃふにゃに伸びきってしまった。
ロドルフの百戦錬磨の手練手管にエンマはふにゃふにゃになります。ロドルフはエンマを乗馬に誘い、シャルルは健康のためにエンマに乗馬を勧めます。男とふたりで遠乗りをしたら、村人から変に思われるとエンマは躊躇し、シャルルは、
「なんだ! 私ならそんなことまったく意に介さないよ!、何よりも健康第一だよ! お前は間違ってるよ!」
「でも! 乗馬服もないのに、馬に乗れってどうしてわたしにおっしゃるの?」
「注文したらいいじゃないか、一着!」と彼は答えた。
乗馬服が彼女を決心させた。
往々にして物事はこのように決定を見ます、フローベールの人間理解の鋭いところです。それにしても、シャルルのこの人の良さは何なんだ…。
ふたりは馬で出かけ森の奥深くに分け入ります。馬から降りたボヴァリー夫人を見て
彼女のドレスは長すぎて、裾を持ち上げるようにしても歩き・・・、後ろを歩くロドルフは黒いラシャ地と黒い深靴のあいだの優雅な白い靴下にじっと見入ったがー、それは彼女の生身の肌か何かのように思われた。
ロドルフの眼は獲物を狙う猛禽類の眼。この男にとって、エロスとは想像力だ!というわけです。で、
「いけないことだわ、いけないことだわ」
「どうして?……エンマ! エンマ!」
「ああ! ロドルフ!……」
・・・そして、気が遠くなり、涙に暮れながら、長々と慄き、顔をおおって、身をまかせた。
と、猛禽類が小鼠を捕らえます。この辺りは三文小説そこのけですが、『ボヴァリー夫人』こそ三文小説の元祖なのかも知れませんw。
彼女は、「わたしには恋人ができた! 恋人が!」と繰り返し、その思いに深く歓びを感じながら、まるで第二の思春期がとつぜん訪れてきたみたいで嬉しかった。
ボヴァリー夫人はロドルフに恋をしていたわけではなく、ロドルフに失恋の痛手につけこまれて身を許した結果恋をします。順番が逆なのですが、これもこの手の小説の常道で、さすが「古典」ですw。
こうなるとボヴァリー夫人はもう止まりません。ロドルフの屋敷に押しかけるは、しまいには男を自宅に引き入れてシャルルの診察室で逢い引きと、だんだん大胆になります。
ロドルフ:だがそれにしてもじつに美しい! 自分はこれほどの純真さを持った女をものにしたことなどなかった! 彼にとって、こうした淫蕩気分を離れた恋愛は経験のないもので、いつもの安易な習慣から脱け出て、自尊心と同時に官能性をくすぐられた。エンマの高揚ぶりも、その俗物的な常識からすれば厭わしかったが、心の底では魅力的に思われ、というのもそれは自分という人間に向けられたものだったからだ。
エンマ:彼女は、自分がこの男に身をまかせたのを悔やんでいるのかどうかも分からなかったし、反対に、この男をもっと愛したいと思っているのかいないのかも分からなかった。自分が弱いと感じる屈辱は恨みに変わったが、その恨みも性の快楽によって和らげられた。それは愛着から生まれたものではなく、いつまでも繰り返される誘惑のようなものだった。ロドルフに征服されたのだ。彼女はほとんど怖い気さえした。
これが不倫、情事の姿です。やがて、エンマはロドルフに「駆け落ち」を持ちかけます。駆け落ちを持ちかけられたロドルフには、虚飾が剥げ落ちたエンマの姿が見えてきます。
エンマもほかのどの情婦とも似たり寄ったりで、そして、目新しさの魅力は少しずつ刺げ落ち、衣服と同じことで、そうして目にする裸は、お定まりの恋情の単調さで、恋情はいつも同じ形をしており、同じ言葉づかいをするのだ。
が、
この恋にはまだ生かすべき別の楽しみがあると見てとった。彼はあらゆる羞恥心を邪魔なものと考えた。彼はエンマを遠慮せずに扱った。彼女を言いなりになる堕落した女に仕立て上げたのだ。それは一種の愚かな愛着だったが、彼にとっては賛嘆に充ち、彼女にとっては快感に充ちていて、しびれるほどの恍惚であり、そして、彼女の魂はこの陶酔にどっぷりと浸かり、耽溺し、めちゃめちゃになり…。
男は情事から快楽の最後のひと滴まで飲み干そうとし、女は陶酔にどっぷりと浸かり耽溺します。
このころほどボヴァリー夫人が美しかったことはなく、彼女の持つその曰く言いたい美しさは、歓びと熱狂と充足から生まれ、それはまさに気質と状況の調和にほかならなかった。堆肥や雨や風や太陽によって花が育つように、その渇望と悲しみと快楽の経験といつまでも初々しい夢想によって、彼女は徐々にはぐくまれ、ついにその本性を十全に発揮して花開いたのだった。
プロバンスへの駆け落ちの前日、ボヴァリー夫人はロドルフに裏切られることとなります。