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フローベール ボヴァリー夫人 第三部 (2015新潮文庫) [日記 (2020)]

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)
ボヴァリー夫人  エンマは、駆け落ちの前日に恋人に逃げられてショックのあまり寝込み、その間一ヶ月あまりシャルルは付きっきりで看病します。シャルルはエンマの不倫を露ほども疑わず、寝込んだ妻を看病するわけです。回復すると、シャルルはエンマを元気つけるためにルーアンにオペラを観に連れてゆき、ここから第三部が動き出します。エンマは第一部で登場しパリに去った恋人レオンと再会します。夫が妻の不倫のお膳立てをしているようなものです。
 
三年ぶりに彼女に再会してみると、彼の恋心は燃え熾(さか)った。覚悟を決めなければならない、とうとうこの女をものにするのだ、と彼は思った。それに、その内気さも はしゃいだ学生仲間たちとの触れ合いで徐々に失われ、彼が田舎にもどってきたときには、パリの大通りのアスファルトをエナメル革の靴で踏んだことのない人間をみな軽蔑していた。
 
 内気だったレオンも、「パリの大通りのアスファルトをエナメル革の靴で踏ん」で、一人前の男となったようです。「この女をものにするのだ」というのですから、第二部のロドルフ同様に下心を持ってエンマに近づいたことになります。エンマがそうした男を惹きつけるのか?、男は本来そうした存在なのか?、フローベールは、男女の「生態」をリアルに描きます。
 
 シャルルもレオンとの再会を喜び、ご丁寧にも、気晴らしにルーアンに数日滞在することをエンマに薦める有様。レオンは早速エンマを口説きにかかります、
 
大通りの版画屋に、詩の女神を描いたイタリアの版画がありました。「女神はどこかあなたに似ていたのです」。ボヴァリー夫人は、こらえきれずに口もとに浮かんできてしまう笑みを見られまいとして、顔をそむけた。
 
口説かれて悪い気はしませんから、「こらえきれずに口もとに浮かんできてしまう笑み」です。エンマにとってレオンは、一度は恋情を覚えた男性ですからなおさらのこと。
 
「きかん坊ね、あなたって! さあ、お利口さんにしてね! お願いよ!」
彼女は、二人の恋がさまざまに不可能であることを説いて聞かせ、二人はかつてと同じく、姉弟のように単に睦まじい仲でいなければならない、と指摘した。彼女は本心からそう言ったのだろうか?  おそらくエンマも、誘惑の魅力と誘惑から身を守る必要とにすっかり気をとられて、自分でもそのことはまったく分からなかっただろう、そして、優しいまなざしでこの若者を見つめながらも、彼が震える手でおずおずと試みる臆病な愛撫を、彼女はそっと押しのけた。(あまりいい訳ではありませんね)
 
ロドルフとの不倫に懲りたのか、なかなか殊勝な心がけですが、はたして?。
 シャルルの父親が亡くなり、シャルルは遺産相続の手続きのためにエンマをルーアンの公証人書記・レオンの元に行かせます。ロドルフの時もシャルルはエンマに乗馬を勧めて不倫の後押しをしますから、今回も不倫をけしかけるようなものです。「誘惑から身を守る」というエンマの決意は夫によって覆されたことになります。

 ルーアンに行ったエンマは、「充ち足りて、心地よく、まぶしいほどの三日間、正真正銘の蜜月」を過すことになります。

(密会の)翌日は、一日じゅう不快で、つづく日々は、幸福をもう一度手にするのがエンマには待ちきれなくて、さらにもっと耐え難く――欲情は激しくなるばかりで、知りつくしたイメージを思っては燃え上がり、七日目になると、レオンの愛撫のうちにその欲情が存に炸裂するのだった。彼の熱情は、感謝と驚嘆の吐露のかげに隠れがちになった。エンマはそうした恋をひそかに心奪われるように味わい、自分の愛情のすべての技巧をつくして、レオンの恋を保とうとしたが、それでもそれがいつかは失われるのではないかといくぶん恐れた

 エンマはレオンと密会するためにピアノを習う口実を設け、ふたりは毎週木曜日ルーアンで逢瀬を重ねます。

・・・男がこれほど美しく思われたことは一度もない。その身のこなしから、あどけなさが匂い立っていた。彼は反った長く細いまつげを伏せていた。頬の滑らかな肌が赤く染まっていて―-思うに―-この身体が欲しいのだ、エンマはその頬に唇を持ってゆきたい欲求を抑えがたいほど感じた。

そしてレオンはというと、

彼は生まれてはじめて、言葉では表せないほど洗練された女らしい優雅さの味をかみしめた。これまで一度も、このようにしとやかな言葉づかいや慎みのある衣装にふれたこともなく、そのまどろむ鳩のような姿態に接したこともなかった。彼はエンマの心の高ぶりに見とれ、スカートのレース飾りに感心した。それに、上流婦人じゃないか、しかも人妻だ! ついに紛れもない愛人ではないか?。

もうドロドロの愛欲です。こうした蜜月が続くものかどうか、ふたりに亀裂が忍び寄ります。レオンは年下で独身、一方のエンマは子供までいる既婚。エンマが追う、レオンが逃げるという当たり前の構図となります。

会うたびに、レオンはこの前の逢瀬から何をしていたか、もらさず彼女に報告しなければならなかった。レオンは彼女の考えには異を唱えず、彼女の趣味はすべて受け入れ、エンマが彼の愛人というより、レオンが彼女の愛人になっていた

彼女は、次の逢瀬でこそ、この上ない深い幸福をと絶えず期待をかけるのだが、やがて過ぎてみれば、特別のことは何も感じられなかったと認めるしかなかった。そうした失望もすぐに消えて、新たな希望を抱き、エンマは男のものとなるのだが、いっそうむさぼり餓え、いっそう燃え上がるのだった。手荒に服を脱ぎ、コルセットの細紐を引き抜くと、紐は腰のまわりをめぐり、しゅしゅっと蛇のすり抜けるような音がした。彼女は裸足のまま爪先だって、ドアが閉まっているかもう一度たしかめに行き、それから、さっといっぺんにすべての衣服をまとめて落とし、―そして、青ざめた顔をして、何も言わずに、真顔で、男の胸に崩れ落ち、すぐにはわななきがとまらない。

 不倫文学ならぬ若い男と人妻の愛欲絵図です。公衆道徳違反、風紀紊乱で裁判沙汰となったのも当然といえば当然。若い頃のフローベールは宿を経営する35歳の女性と関係を結び、11歳年上の女性詩人(ルイーズ・コレ)と数年に渡り恋愛関係となっています。自伝的な作品『感情教育』で人妻との恋愛を描いていますから、エンマとレオンの情事はフローベールの体験でしょう。その体験を書いて小説家として世に出たことになります。

二人は互いに知りすぎてしまったので、相手を自分のものにしていても、歓びを百倍にもするはずの非常な驚きを抱けなかった。彼女がレオンに嫌気がさしたのと同じく、彼もエンマにうんざりしていた。エンマは不倫の恋のうちに、結婚生活の単調さをことごとく見いだしていた。

 どれほど情熱的で刺激的な恋愛も、日常に取り込まれると倦怠へと変質します。フローベールはこの不倫にどう結末をつけるのか?。ふたりの逢瀬はルーアンのホテル、エンマは逢引の経費を支払いレオンに貢ぎ、シャルルの父親の遺産を当てにして借金は8,000フランに膨れ上がります。振り出した手形が金融業者の手に渡り、相続の当ては外れ、厳しい返済にさらされます。

自分は幸福ではない、一度だって幸福だったことはない。いったいなぜこのように人生が充ち足りないのだろう、いったいなぜ自分の頼るものがあっという間に腐敗してしまうのか?

エンマは振り出しに戻ったことになります。

・・・もしもどこかに強くて美しい人がいてくれたら、胸の高揚と洗練にあふれた勇敢な人がいてくれたら、・・・ひょっとしてそんな人に自分だって出会わないことがあるだろうか? ああ! なんてあり得ないことだろう! そもそも、この世にわざわざ求めるに値するものなんて何ひとつない、何もかも嘘っぱちょ! どんな微笑にも退屈のあくびが、どんな歓びにも呪いの言葉が、どんな快楽にも嫌悪が秘められていて、最高の口づけさえこちらの唇に残すものといったら、もっと高い逸楽を欲してしまう叶わぬ欲望なのだ。

 レオンとの仲も冷め借金に追い詰められたエンマの墜ちてゆく先は死、エンマは毒を飲んで自殺を図ります →幕。

 『ボヴァリー夫人』は、医師の若い後妻が自殺した事件に想を得て描かれた小説です。出版されるや風紀紊乱で裁判となり、それが評判を呼んでベストセラーとなります。逆に言うと、小説は、実際の事件が取り沙汰されるほどリアルであり、読者の好奇心を刺激したということです。それだけの普遍性を持つ『ボヴァリー夫人』は、現在まで読みつがれてきたのでしょう。
 小説のモデルを問われて、フローベールは「ボヴァリー夫人は私だ!」と言ったそうです。フローベールは、『ボヴァリー夫人』で何を描いたのか?。どう読んでも、エンマは魅力的なヒロインとはいえません。誠実な夫を裏切り、ありもしない夢を追って男に騙され、男に貢いで借金を重ねた挙げ句に破滅します。現代でもありそうな、まさにその「ありそうな」ことこそが、この小説の普遍性だと思われます。ボヴァリー夫人は、何も特殊な女性ではなく何処にでもいる普通の女性、ちょっとばかり「夢を見過ぎた」ために穴に墜ちるわけですから、フローベールは「ボヴァリー夫人は私だ」言ったのでしょう。言い方を替えれば「ボヴァリー夫人はあなただ」とも言えます。

@読んだのは、新潮文庫の芳川泰久訳ですが、あまりいい訳とはいえません。
 ボヴァリー夫人第一部第二部

タグ:読書
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Lee

古典的有名小説ですが文学部にもかかわらず意外に読んでなかったので内容がよくわかりました、ありがとうございます。さすがフランス、恋愛描写にかけては気合いが入っていますね^^
by Lee (2020-10-16 10:29) 

べっちゃん

19世紀によくここまで書けたものです。『赤と黒』はもっとさサラッと流してます。古典の名作もけっこう面白いですね。
by べっちゃん (2020-10-16 11:30) 

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