【「輝く日の宮」は何故消えたか?】

1)藤原道長
 「輝く日の宮」を抹殺したのが、藤原道長だというのです。紫式部と道長は男女の関係にあったのではないかというのは、これも有名な話しです。紫式部は、道長の娘中宮・彰子の家庭教師で、道長自身、漢詩、和歌の上手で当代一流の知識人です。『源氏』が世に出書き継がれたのは、「パトロン」道長の応援があったからだというのです。

 その論拠のひとつが「紙」です。『源氏物語』は、四百字の原稿用紙に直すと1,800枚程になり、当時は一枚に200字書いたようで、『源氏』全体で3,600枚必要だったそうで、当時貴重品だった「原稿用紙」を3600枚調達できるのは、紫式部の廻りには権力者の道長以外いないということです。
 紙は貴重品ですから、文章を書いて失敗したから丸めてポイというスタイルはあり得ないそうです。頭のなかで推敲に推敲を重ね、これでOKとなって初めて紙に書くわけです。紫式部は、当時の原稿用紙に直すと3,600枚もの長編小説を、頭の中で組み立て推敲して書くわけですから、すごい才能です。
 道長は『源氏』を読んで面白いと感じ、紙を供給して紫式部を応援したのでしょう。