俺は愛されないという確信で以て、愛を夢見ていたことになるのだが、最後の段階では、欲望を愛の代理に置いて安心していた。しかるに欲望そのものが、俺の存在の条件の忘却を要求し俺の愛の唯一の関門であるところの愛されないという確信を放棄することを要求しているのが、わかってしまったのである。
何のことはない愛を夢見て童貞喪失に失敗しただけのことです。この失敗から、柏木は精神を超越した肉体=内翻足に目を向け、
内飜足が俺の生の、条件であり、理由であり、目的であり、理想であり、生それ自身なのだ。
美女を前にして不能であった柏木は、60歳の老いた寡婦を犯し童貞を捨てます。柏木らしい理屈を並べ立てますが、要は、醜い寡婦の前でなら肉体が精神を裏切らない(不能とならない)と考えたと言えます。
老いた寡婦の皺だらけの顔は、美しくもなく、神聖でもなかった。・・・どんな美女の顔も、些かの夢もなしに見るとき、この老婆の顔に変貌しない、と誰が云えよう。俺の内飜足と、この顔と、……そうだ、要するに実相を見ることが俺の肉体の昂奮を支えていた。俺ははじめて、親和の感情を以て、おのれの欲望を信じた。そして問題は、俺と対象との間の距離をいかにちぢめるかということにはなくて、対象を対象たらしめるために、いかに距離を保つかということにあるのを知った。
「実相を見る」「対象を対象たらしめるために、いかに距離を保つか」と難しいことを言ってますが、要は色々考えず有るがままを見る、近づきすぎず距離を取って冷静に観察する、ということなんだろうと思います。何となく禅宗の匂いがします。
見るがいい。そのとき俺は、そこに停止して い て同時に到達しているという不具の論理、決して不安に見舞われぬ論理から、俺のエロティシズムの論理を発明したのだ。
「おめでとう」という他はないです。愛の不可能性などという観念を捨てて悟りを開いた柏木は、その後、下宿の娘、美しい華道の師匠、スペイン風の屋敷に住む美女と遍歴を重ねますから、内飜足という武器に磨きがかかったのでしょう。「内面世界の王者」(溝口の表現)が外界への扉の鍵を手に入れたのということができます。溝口は、この「童貞喪失物語」に感動し、
中学時代に先輩の短剣の鞘に傷をつけた私は、人生の明るい表側に対する無資格を、すでに自分の上に明確に見ていた。
しかるに柏木は裏側から人生に達する暗い抜け道をはじめて教えてくれた友であった。それは一見破滅へつきすすむように見えながら、なお意外な術数に富み、卑劣さをそのまま勇気に変えわれわれが悪徳と呼んでいるものを再び純粋なエネルギーに還元する、一種の錬金術と呼んでもよかった。
後に、溝口は、柏木とスペイン風の屋敷に住む美女と柏木の下宿の娘の4人で嵐山にでかけます。柏木と関係を持ったという下宿の娘は「あの人はお嬢さんを『聖女』に仕立てたんよ。いつもあの手や」。普通の娘の常識は、柏木の本質をズバリ言い当てます。溝口の欲望が目覚めます、
私はむしろ目の前の娘を、欲望の対象と考えることから遁れようとしていた。これを人生と考えるべきなのだ。前進し獲得するための一つの関門と考えるべきなのだ。今の機を逸したら、永遠に人生は私を訪れぬだろう。・・・ 私はようやく手を女の裾のほうへ辷らせた。
そのとき金閣が現われたのである。
溝口はこのチャンスを逃せば「永遠に人生は私を訪れぬだろう」と逸りますが、下宿の娘を前にして不能となります。外界に通じる鍵を開けようとしたその時、金閣が顕れ扉は開きません。
後に、溝口は五番町の娼婦を抱きますから、柏木の「童貞喪失」の相似形です。
下宿の娘は遠く小さく、塵のように飛び去った。娘が金閣から拒まれた以上、私の人生も拒まれていた。隈なく美に包まれながら、人生へ手を延ばすことがどうしてできよう。美の立場からしても、私に断念を要求する権利があったであろう。一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で人生に触れることは不可能である。・・・美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない。それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、生そのものをも、滅亡の白茶けた光りの下に露呈してしまうのである。
柏木の影響か、もっともらしい弁解をしています。金閣(永遠)を取るか娘(人生)を取るかの二者択一なのだ、私は金閣を選択したから不能だったのだと言うことでしょうか。
溝口は、南禅寺山門から、和服の女性が出征する士官の抹茶碗に母乳を絞る光景を見ます。後にこの女性の乳房と出会います。
私には美は遅く来る。人よりも遅く、人が美と官能とを同時に見出すところよりも、はるかに後から来る。みるみる乳房は全体との聯関を取戻し、……肉を乗り超え、……不感のしかし不朽の物質になり、永遠につながるものになった。私の言おうとしていることを察してもらいたい。又そこに金閣が出現した。というよりは、乳房が金閣に変貌したのである。
金閣そのものが、丹念に構築され造型された虚無に他ならなかったから。そのように目前の乳房も、おもては明るく肉の擢きを放ってこそおれ、内部はおなじ間でつまっていた。その実質は、おなじ重い豪奢な闇なのであった。
溝口の前に立ち塞がったもの(不能の原因)は、吃音症に飼いならされて肥大化した「自意識」です。これを克服しないと人生に触れることは出来ません。溝口はこのために金閣を焼いたと考えられます。