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映画 炎上(1958大映) [日記(2016)]

炎上 [DVD]
 原作は三島由紀夫の『金閣寺』。昭和25年、金閣寺に放火した青年僧の心の闇を描いた映画です。

 冒頭で金閣寺放火の謎がほぼ明らかにされています(と思います)。母校を訪れた海軍兵学校の生徒が、溝口(市川雷蔵)の吃音をバカにします。正確にはバカにしたのは同級生で、兵士は、海軍に入れば吃音など一日で治ると言ったに過ぎません。軍国主義の時代ですから、真っ白な制服に身をつつみ短剣を帯びた海軍の兵士は輝かしい存在であり、その制服を身に付けることができない少年は、小刀で兵士の短剣を傷つけコンプレックスを克服します。この短剣に相当するものが金閣寺であり、吃音は溝口の抱える恥部の象徴だと思われます。
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 溝口は、父親から、金閣ほど美しいものはない、金閣のことを考えただけでこの世の汚いものはみんな忘れてしまうことができるという暗示を受けています。金閣寺は、海軍兵学校の真っ白な制服であり、短剣同様輝かしい、しかし自分とは無縁の存在です。僧として金閣寺に住み込んだ溝口にとって、金閣寺の美は吃音に象徴される自分の恥部を常に意識させる存在となります。
 父親の遺言によって、溝口は金閣寺に住むようになり、老師(中村鴈治郎)は親友の息子である溝口をゆくゆくは自分の跡継ぎ、金閣寺の住職にする積もりで大谷大学へ入学させます。

 戦争が終わり、観光収入は金閣寺を潤し、「金閣のことを考えただけでこの世の汚いものはみんな忘れてしまう」と言った父親の言葉とは反対に、老師は祇園の芸者を囲い、金閣寺を取りまく人間は醜悪な姿を晒し出します。溝口は次第に勉学に熱意を失い、大学に出なくなります。金閣寺を訪れた米兵の情婦を突き飛ばす事件が起き、女は流産し老師を強請り、溝口は老師の信頼を失いはじめます。溝口に思想的?影響を与える大学の友人・戸刈(小説では柏木、仲代達矢)が登場します。溝口が足のわるい(跛)戸刈に近づいたのですが、戸刈は、吃音のコンプレックスで自閉気味の溝口とは異なり、自分の不具を武器に女性を籠絡する「強者」。溝口をそそのかして老師を中傷し、溝口に貸した金を老師からの取り立てるなど結果的に溝口を追い詰めることになるのです。戸刈の存在がどんな意味を持つのか映画では未消化。女たちは戸苅の跛の足にひざまづいていますから、戸苅の跛は聖痕なのか?。であるなら、吃りもまた...。
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 嫌がらせ、不登校、借金と不始末が重なり、老師は溝口に金閣寺の住職候補から外すことを言い渡します。この後、溝口はカルチモン(睡眠薬)を買い、遊郭に行って娼婦に金閣寺を焼くことを匂わせ、言葉にすることで決意が固まったかのように放火を決行します。これでは、金閣寺の住職になれない逆恨みが放火の原因だと言っているようなものです。溝口の最後の言葉が「誰も分かってくれない」ですが、コッチも分からない。

 溝口は何故金閣寺に放火したのか?。溝口は、吃音のために自分が世界から疎外されているいると感じています。その疎外感を癒すものが、父親によって刷り込まれた美しい金閣寺です。金閣寺の僧となり、金閣寺と一体となることで溝口は精神の均衡をとっているわけです。
 溝口の王国に破綻が訪れます。戦争が終わり京都に観光客が戻ると、溝口の占有であった美の象徴金閣寺は、溝口を離れて一人歩きし出します。拝観料によって寺は潤い、老師は芸者を囲い、米兵の娼婦までもが土足で金閣寺に踏み込みます。恋人が他の男に心を移すように、金閣寺は溝口から離れてゆきます。金閣寺から捨てられた溝口は、自らのアイデンティティを保つために金閣寺を焼くわけです。映画から(無理矢理)読み取れるのはこここまで、これ以上は原作を読まないとだめなようです。

監督:市川崑
出演:市川雷蔵 中村鴈治郎 仲代達矢

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