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藤沢周平 蝉しぐれ [日記(2014)]

蝉しぐれ (文春文庫)
 先日映画を見て違和感があったので、原作を読んでみました。十年ぶりの再読です。おなじみの「海坂藩」もので、主人公・牧文四郎のビルドゥングスロマンです。
 長編ですからエピソードは盛りだくさんです。

・文四郎とおふくとの淡い恋
・父・助左衛門の切腹
・逸平、与之助との友情
・剣道への邁進と秘剣・村雨
・おふくを巻き込んだ世継争い
 
【おふく】
 物語を貫くのが、幼馴染おふくとの初恋です。おふくが藩主の側女となって藩主の子を生むという設定が、主人公の運命を決定づけ、これが物語のひとつの旋律となります。文四郎が「やまかかし」に噛まれたおふくの指から毒を吸い出す話、助左衛門の遺体を乗せた大八車をふたりで引く話、江戸藩邸に召されるおふくが文四郎の長屋を訪ねる「すれ違い」などが、情感たっぷりに描かれます。
 おふくが江戸藩邸へ行って後、4年後に欅屋敷で再会するまで、おふくは、「風のたより」として文四郎の心にさざ波を立てる以外物語には登場しません。後年、郡奉行となった文四郎はおふくと再会し、二十数年の隔たりを一気に乗り越えますが、おふくは尼寺に消えます。
 おふくは『蝉しぐれ』のヒロインではありますが、助左衛門とともに切腹した矢田作之丞の妻淑江に比べると影が薄いように思われます。恋だ愛だと言っても所詮は幻想に過ぎないわけで、おふくは主人公・文四郎が見る最も大きな幻想であると考えたほうが当たっていそうです。

【謀反人】
 もうひとつが、父・助左衛門の切腹です。助左衛門は世継ぎ争いの抗争で破れ、謀反人の汚名を着て切腹し、牧家は減俸され長屋暮らしとなります。謀反人の子として生きる文四郎の成長というのがもうひとつの旋律です。本書をビルドゥングスロマンと考えると、むしろこちらが主旋律です。
 一旦は主人公が不遇をかこつことがこの手の小説の常道で、文四郎は無役の飼い殺しとなります。謀反人の息子として、周りの冷たい視線と謗りの中で剣一筋に生きることになります。この境遇を象徴するのが、助左衛門とともに切腹した矢田作之丞の妻淑江です。淑江もまた減俸され、老いて盲目の姑と長屋住まいとなります。姑があるため矢田家から離縁できず、あるか無きかの矢田家再興のために「家」に縛り付けられます。その宙ぶらりんの状況から脱出するために、淑江は元許婚者と心中して果てます。美人の未亡人を見つめる文四郎の視線とともに、この小説を彩るエピソードのひとつです。

【友情】
 謀反人の息子・文四郎を支えるのが、道場と塾の同窓の逸平、与之助です。助左衛門の切腹の後も、三人の友情は変わることはありません。逸平は一足早く元服して小姓組に出仕し、「欅屋敷事件」では文四郎を助けて活躍します。学業優秀の世之助は江戸の高名な塾に留学し、江戸藩邸のおふくの動静を文四郎にもたらす役目を負います。
 不遇をかこつ主人公を支える友情、まぁ順当な構成です。

【剣戟】
 藤沢周平には、『隠し剣孤影抄』ほか剣豪小説?が沢山あり、『用心棒日月抄』以下の主要な小説でも「剣」が重要な位置を占めています。謀反人を父に持つ文四郎が、孤独の中で己を支える拠り所が剣道です。道場で席次が5位まで上り、数々の試合で勝ちを修め、城下の剣豪たちが敵味方となって文四郎を取り巻きます。文四郎が属する道場の主は、自分の編み出した秘剣・村雨の極意を文四郎に伝え、文四郎は秘剣・村雨によって死地を脱しおふくを巻き込んだ世継争いに決着をつけます。
 敵に廻って文四郎に斬られる犬飼兵馬、刺客となる三宅藤右衛門、奉納試合で負ける興津新之丞など様々に登場しますが、存在感は希薄です。
 助左衛門を切腹に追いやった派閥の家老・里村が、文四郎の腕を見込んで近づきます。里村は、牧家の禄を旧に戻し、郡奉行支配に取り立てますが当然に裏があり、この辺りから文四郎は藩内の陰謀に巻き込まれてゆきます。

【陰謀】
 藩主の嫡男と側室腹の男子に世継ぎ争いの抗争に敗れて文四郎の父・助左衛門は腹を切ります。そして4年経っておふくが藩主の男子を出産したことで、またも世継ぎ争いが勃発します。世継ぎ争いに名を借りたヘゲモニー闘争らしいのですが、それぞれの派閥にどんな正義があるかというと、ありません。この辺りをもっと突っ込んでほしかったというのが、正直な感想です。文四郎、おふくの側が正義、というのでは説得力に欠けます。
 (悪役)家老の里村は、文四郎に欅屋敷に潜伏するおふくの子供を拐ってこいと命じます。謀反人の息子を取り立ててやったではないかということです。里村は、手勢を欅屋敷に送り込み、文四郎を誘拐犯に仕立て、おふくの子ともども葬むろうという作戦で、映画ではここぞとばかり派手な立ち回りが映像化されました。
 予定通り文四郎はおふくを救出してめでたし目出度し。

 文四郎は郡奉行となり、藩主が亡くなったおふくは尼寺に入ることとなります。最後の逢瀬で、15歳の文四郎と12歳のおふくに戻り、あり得たかもしれない過去を懐かしむわけです。今回読んで初めて知ったのですが、この逢瀬でふたりは「想いを遂げた」ようです。

 再読のためか、それほど面白いとは思いませんでした。助左衛門の切腹、牧家の凋落、矢田淑江の心中あたりまでは緊張感があるですが、ビルドゥングスロマンを外れ秘剣・村雨、悪家老登場あたりから怪しくなります。

《映画と原作》
 『蝉しぐれ』は主人公・文四郎の成長を描いた小説です。映画に感じた違和感は、この成長を主題とせず、文四郎とおふくの恋、小説後半のチャンバラだけを描いたことにあったのだと思います。そうした意味で、原作の破綻を忠実にたどって映画もまた破綻した、と言っては言い過ぎかもしれませんが。

《『蜩ノ記』との類似》
 類似ではなく、葉室麟は藩主の側室と藩士の禁断の恋を借りてきて、独自の『蝉しぐれ』を書いたのだと思います。『蝉しぐれ』は主人公の素朴な成長物語ですが、『蜩ノ記』は死を前提とした武士の生き様を描いた物語です。全然異なります。人は誰でも死を前提として生きていますが、遠い未来として忘れて今を生きています。10年の切腹執行猶予を与えられた人間を持ち込むことで、お前の生ははどうなのか?と鋭く問う小説だと言えます。直木賞選評の「既視感に満ちた話」(桐野夏生)という否定的意見も、葉室麟にとっては予定通りの批判だったような気がします。

タグ:読書
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