永井荷風 ひかげの花 [日記(2016)]
荷風の小説の主人公は、その漁色同様、芸妓から始まってカフェの女給、私娼、踊子へと移ってゆき、玉の井の私娼をミューズ(女神)に見立てた傑作『濹東綺譚』が生まれます。『ひかげの花』は、私娼お千代とお千代にぶら下がる重吉(早い話がヒモ)の物語りです。荷風の主題は女性ですから、重吉はお千代を際立たせるだけの脇役に過ぎません。
『濹東綺譚』では、「わたくし」はお雪に執着し連日玉の井に通いますが、お雪が外で客と会っている間留守番をするというだりがあります。お雪は娼婦ですからお客が来れば相手をするわけですが、留守番という発想はちょっと理解できません。無理に理解すれば、女性も一個の独立した個人でありその内部に踏み込まない、逆にいうと自分の中にも踏み込まれたくないという荷風の狷介さ、徹底した個人主義なのかとも思われます。女性を快楽の対象と考える女性蔑視とは少し違ったもののようです。
荷風の小説では、この個人主義は女の方も同じす。『ひかげの花』のお千代は、生活のためとはいえ夫同様の重吉がいるにもかかわらず私娼となり、重吉もお千代が娼婦であることを何の抵抗もなく受け入れています。
重吉は学生時代から実業家の元妾で十歳以上も歳の離れた未亡人と同棲し、学費の面倒を見てもらうばかりか失業後も未亡人のヒモような生活を送ります。未亡人に幾人もの男がいることを知り、自分が男妾に過ぎないこと自覚し、男妾の安易な生活から離れられずその境遇に甘んじたという過去があります。
一方のお千代は、上京して女中、派出婦になり、行く先々で男に言い寄られ子供が生みます。結婚をしますが子供を養子に出して離婚し、また 派出婦に戻るという生活の中で重吉と出会います。重吉が自らの意思でお千代に乗り換えたのら未だしも、未亡人が亡くなり家の手伝いに来た派出婦のお千代とずるずると同棲を続けるという成り行き任せの人生。
困窮してお千代の着物が一枚一枚と質屋に消えてゆきます。生活のためお千代は私娼となり、その事を重吉に告げるくだりです。重吉はその告白を聞いて
重吉は学生時代から実業家の元妾で十歳以上も歳の離れた未亡人と同棲し、学費の面倒を見てもらうばかりか失業後も未亡人のヒモような生活を送ります。未亡人に幾人もの男がいることを知り、自分が男妾に過ぎないこと自覚し、男妾の安易な生活から離れられずその境遇に甘んじたという過去があります。
一方のお千代は、上京して女中、派出婦になり、行く先々で男に言い寄られ子供が生みます。結婚をしますが子供を養子に出して離婚し、また 派出婦に戻るという生活の中で重吉と出会います。重吉が自らの意思でお千代に乗り換えたのら未だしも、未亡人が亡くなり家の手伝いに来た派出婦のお千代とずるずると同棲を続けるという成り行き任せの人生。
其の夜から俄に異様な活気を帯びて来た。それは自分と同棲している女が折々他の男にも接触するといふ事実を空想すると、重吉は其事から種々なる妄想を誘起せられ、烈しく情欲を刺激せられるがためである
お千代の方では公然夫の許可を得て心に疚(やま)しいところがなくなったのみならず、夫の為めに働くのだと云ふことから羞恥の念が薄らいで、心の何処かに誇りをも感じる。それに加えて、お千代は若い時分から誰彼にかぎらず男には好かれてゐたといふ単純な自惚れを持ってゐる。・・・自分は男に好かれる何物かを持っているが為めだと考えていた。この何物かは年と共に接触する男の数が多くなるに従って、だんだんはっきりと意識せらえ、内心ますます得意を感じる。自分は重吉に愛されている。そのように多の男からも亦愛されるに違いないと極めて簡単に考えている・・・
十七の秋家を出て東京に来てから、この四年間に肌をふれた男の数は何人だか知れないほどであるが、君江は今以って小説などで見るような恋愛を要求したことがない。従って嫉妬という感情をもまだ経験した事がないのである。
という恋愛と嫉妬から無縁の女として描かれています。これは『日乗』に「女好きなれど処女を犯したることなく、又道ならぬ恋をなしたる事無し。五十年の生涯を顧みて夢見のわるい事一つも為したることなし」と書いた荷風なりの「倫理」の裏返しなのでしょう。この異形の愛に、時代に背をむけ孤塁を守った荷風の強烈な生き方が透けて見えます。
タグ:読書
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