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NHK取材班・下斗米伸夫 国際スパイ ゾルゲの真実 [日記(2009)]

国際スパイ ゾルゲの真実 (角川文庫)

国際スパイ ゾルゲの真実 (角川文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1995/05
  • メディア: 文庫
 本書は、NHK取材班によって8月クーデターからソ連崩壊の1991年の取材に基づき製作された、ドキュメント『国際スパイ・ゾルゲ』のノヴェライゼーション?です。

 スパイ・ゾルゲを考える場合、彼がドイツ人を父に、ロシア人を母に、アルゼバイジャン(ロシア領)のバクーで生まれたことは、彼の人生に少なからぬ影響を及ぼしたものと思われます。ゾルゲは3歳でドイツに帰り、ソ連のスパイとなるまでその人生をドイツで過ごしますが、まるで故郷に帰る様に共産主義者となってソ連のコミンテルン(国際共産党)に参加、後赤軍参謀本部に移りスパイとなります。

【スパイ・ゾルゲ】
 ゾルゲが共産主義の洗礼を受けたのは、第一次大戦に志願し負傷し、治療を受けた病院に於いてだったそうです。志願して戦争に赴く愛国青年がどういう思想的転換を図ったのか。ともかくゾルゲは共産主義者となり、ドイツ共産党に入党、熱心なマルクス主義者として活動を開始したと云われます。1924年、コミンテルンの招きでソ連に渡り、世界革命を目指すゾルゲの活動が始まります。

 コミンテルンに所属したゾルゲが赤軍諜報部のスパイとなった経緯は明らかではありません。本書によると、スターリンの『一国社会主義』への政策変更により、共産主義の国際組織であるコミンテルンは無用となり、コミンテルンの活動家が組織からはじき出され赤軍に移った、というの真相だと云うのです。ファシズムの台頭とともに、スターリンは優先順を世界革命から自国の内政(スターリン体制)固めに移すわけです。行き場所の無くなったゾルゲを誘ったのが当時の赤軍諜報部長・ベルジンだったと云うのですが、コミンテルンで論文を発表する研究者のゾルゲを、ベルジンはどやって誘ったのでしょうか?後のゾルゲの諜報活動が、政治、経済の分析が多分に含まれていること考えると、彼は諜報活動をコミンテルン時代に執筆した『1927年におけるドイツ労働者の物質的状況』等の延長上に考えていたのかも知れません。
スパイ、諜報活動と云うと、つい007を思い浮かべて余分なこと考えてしまいます。
ベルジンがゾルゲに与えた課題は、

1)南京政府の社会的・政治的分析
2)南京政府の軍事力の研究
3)中国における各派閥社会的・政治的分析、ならびにその軍事力
4)南京政府の内政および社会政策の研究・・・など

 もうひとつ、
「日本のちっぽけな工場や女郎屋で情報を仕入れている<くそたれ野郎>」(ロバート・ワイマント『ゾルゲ 引裂かれたスパイ』)と、ゾルゲの独ソ開戦の情報を無視したスターリンとコミンテルンの関係です。スターリンは秘密警察をコミンテルンに送り込み、国際派の粛清に乗り出します。スターリンにとって、ゾルゲは信用できないコミンテルン崩れだったわけで、その情報を信用しなかった一端もここにあると云います。後に、ゾルゲを赤軍諜報部に呼んだベルジンもスターリンの粛清の犠牲者となります。ゾルゲがソ連国内にいれば粛清された恐れは十分に考えられ、ゾルゲ自身これに感づいていたようです。父の国を捨て、母の国からも拒まれ、極東の島国で孤独な諜報活動を強いられる運命を、彼はどう考えていたのでしょう。

【諜報組織】・・・現代史資料Ⅰ ゾルゲ事件1

ゾルゲ スパイ組織.jpg

 ゾルゲが組織した諜報組織です。凄い、の一言に尽きます。

<< ゾルゲ >>
 「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の東京特派員として東京に潜入し、独大使館に深く根を下ろしています。特に、後の駐日大使オットとは彼が武官時代から接触しその信頼を勝ち得ています。オットの推薦でナチス党員にもなっています。大使館、特派員仲間にも人気があったようで、逮捕に際しては、彼らによる嘆願書まで準備され(実際には出さなかった)、オットは拘置所でゾルゲと面会さえしています。

<<尾崎秀実>>
 なかでも凄いのは、尾崎秀実を通じて日本の政治の中枢にまでその諜報の触手を伸ばしていることでしょう。
 尾崎は1937年近衛内閣の嘱託となり、近衛の側近からなる情報交換会『朝飯会』に参加します。このグループには、牛場友彦(近衛秘書官)、西園寺公一、犬飼健、蝋山政道(政治学者、東大教授)、風見章(内閣書記官長)、笠信太郎(朝日新聞)など(私でも名前を知っている)錚々たるメンバーが参加しています。殆ど内閣直結といってもいいでしょう。また、1939年、尾崎は満鉄調査部嘱託となっていますから、満鉄を経由して関東軍の情報も入るわけです。
 尾崎は一高⇒東京帝大卒というエリートで、朝日新聞社の記者となっています。中国問題の専門家として近衛文麿の昭和研究会、朝飯会に参加し(近衛秘書官・牛場友彦が尾崎の同窓)、日本の政策決定の現場に立ち会っています。
 大学院時代にマルキシズムの洗礼を受けたようで、上海特派員時代にアグネス・スメドレーを介しゾルゲと出会っています。スメドレーは中国共産党のある意味スポークスマンの様なものですから、マルキシズムを通じて尾崎=ゾルゲの絆が生まれたわけです。尾崎はゾルゲがソ連のスパイであることは知っていて、自身が流す国家機密がソ連を助け、日本をファシズムから解放するという認識に立った確信犯です。
 ゾルゲは、尾崎というベストパートナーを得てはじめて歴史に名を留める『スパイ』となり得たのでしょう。

で、肝心の本書の感想なんです。KGBプレスセンターで実際にゾルゲが発信した電文を確認したわけですが、それ以上の新しい発見は無かったようです。ゾルゲ事件を俯瞰するには丁度いいでしょう。

ゾルゲ関係年表(合ってると思うのですが・・・。)
ゾルゲ年表.jpg

・ロバート・ワイマント ゾルゲ 引裂かれたスパイ
・篠田正浩 スパイ ゾルゲ(映画)


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