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映画 処女の泉(1960スェーデン) [日記(2010)]

処女の泉 [DVD] 何とも古風なタイトルですが、中身も古風です。『秋のソナタ』で手こずった難解なイングマール・ベルイマンですが、この映画は(一見)分かりやすいです。

 舞台はスェーデンなんでしょうね、時代は不明。中世ということもないと思いますが、信仰が生活を律している時代の話です。
 両親に甘やかされて何不自由なく暮らすカーリン。冒頭から朝寝坊して礼拝に遅刻します。母親から教会にロウソクを届けるように言われ、これは嫌だこれは嫌だ絹の服を着てゆくと大騒ぎ。カーリンと同行するのが使用人のインゲリ。インゲリはカーリンの引き立て役で、このふたりは対照的です。カーリンは育ちのよさをうかがわせる可愛いふっくらした容貌ですが、インゲリは鋭い目つきで野性的、そぎ落としたような容貌です。父親も分からない身重の体を粗末な服で包んでいます。

 インゲリとは途中で分かれカーリンはひとりで教会に向かいますが、羊飼いの兄弟と出会い、凌辱の末殺されます。サンドイッチからヒキガエルが跳びだし惨劇は一気にクライマックスへかけのぼりますが、このサンドイッチはインゲリが作ったものです。さらに、彼女はこの凌辱と殺人の目撃者であり、カーリンを助けなかったばかりかカーリンの不幸を期待したとさえ後に告白しています。こうなるとインゲリはカーリンの引き立て役などでは無く、主題なのかもしれません。
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 カーリンを殺した羊飼いの兄弟は、それとは知らずカーリンの屋敷を訪れ一夜の宿を請います。母親にカーリンの衣服を売ろうとしたことで、殺害が露見し、父親は羊飼い兄弟を殺しカーリンの敵をとります。カーリンの遺体を抱き起こすとそこから泉が湧きだし、父親は遺体の上に教会を建てることを誓います。

 このシーンで父親は『
カーリンが陵辱されて殺されるのを神は見ていただろう、また自分が復讐のため羊飼いを殺すのも見ていたはずだ、何故神は沈黙しているのか?』と問います。これがこの映画の主題だということになっています。この『神の沈黙』は、私などは遠藤周作の『沈黙』を思い浮かべますが、ここでは信仰への懐疑もゆらぎもありません。反対に、神を疑うことに耐えられず、神を讃える教会を建てるという方向に流れます。

 『神の沈黙』以上に映画の中で存在を主張するのがインゲリです。彼女はカーリンの父親に拾われこの家で暮らしています。カーリンの一家はキリスト教の信者ですが、インゲリはオーディンという異教神を信仰している様です。森が暗いと言ってカーリンと同行を拒むシーンには、これも異教の信者である老人が佇みます。
カーリンとインゲリを引き離し惨劇の元となるのはこの異教神に他なりません。冒頭インゲリが、オーディンの神よ来たりて我が願いをきけとこの異教神に祈るインゲリのシーンがあり、次いでカーリンの父母が十字架のキリスト像に祈りを捧げるシーンに切り替わります。ラストシーンは、カーリンの遺体のそばから湧き出た『処女の泉』をありがたそうに押し頂くインゲリで幕となります。
 結局ですね、異教神オーディンはインゲリの祈りを聞き届け、キリスト教の神は沈黙するだけです。だからどうなんだと云う事もないのですが、罪とか信仰とか、そういう映画ではなさそうな気がします。

監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー グンネル・リンドブ

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