読書 小川洋子 薬指の標本 [日記(2011)]
ディアーヌ・ベルトランの映画『薬指の標本』を見ましたが、その幻想と怪奇にはまってしまい、地下の標本技術室の扉は黄泉に通じる扉なのかどうか確認したくて原作を読みました。あらすじ等はこっちをご参照(ストーリーは映画≒小説です)。
《薬指》
主人公は勤めていたサイダー瓶詰め工場で、機械に指を挟み込まれ薬指の先端を失います。薬指は象徴で別に何でもいいわけですが、大事なことは彼女が何かを喪失したということでしょう。
《標本および地下室》
火災で両親と弟を喪った少女が登場します。彼女は焼け跡に生えたキノコを見つけ標本にするため標本室を訪れます。
(ブルーの文字は引用です)
ここで標本にしてもらうのが一番いいだろうと思いました。燃えてなくなってしまったもを全部、きのこと一緒に封じ込めてもらいたいんです(少女)
きのこはいつ、彼女に返されるんですか(わたし)
返しません。標本は全部、僕たちで管理、保存するんです。そういう決まりになっています。もちろん依頼者たちは、好きな時に自分の標本と対面することができます。でも、ほとんどの人がもう二度とここへは現れません。きのこの彼女もそうです。封じ込めること、分離すること、完結させることが、ここの標本の意義だからです(弟子丸標本技師)
標本は、死んだモノを生前の姿で小さな空間に閉じこめることことです。少女は両親と弟と焼けた家の記憶をキノコの形で試験管に封じ込めたわけです。つまり、封じ込めることで過去を清算し、記憶から閉め出す必要があったのです。ちょっと違うかもしれませんが、祟りを封じ込めた『将門の首塚』『菅原道真の天満宮』『隠された十字架 法隆寺』が同じ意味を持つ《標本》に当たるんではなかろうかと、勝手に想像しています。従ってと言うわけでもないのですが、標本は黄泉への入り口にあたるわけです。
二度と現れるはずのない少女が現れ、頬にかすかに残る火傷の痕を標本にして欲しいと頼みます。弟子丸氏は少女を地下の標本技術室へつれてゆきます。この樫の木でできた厚い扉の向こう、標本技術室は、《わたし》が勤めて1年数ヶ月一度も足を踏み入れたことない弟子丸氏の聖域で、標本の依頼のない時も彼はこの地下室に閉じこもっているようです。そして《わたし》は、少女がこの地下室から出てきた姿を見ていないのです。
さらに、223号室の婦人によると、《わたし》の前任の事務員は、地下室へ向かうコツコツという《靴》音を残して消えたということです。つまり、すべての謎はこの地下の標本技術室にあるかのようです。
《靴と浴室》
間違いない。お嬢さんの足は、もうほとんど靴に飲み込まれる寸前だよ・・・この靴脱ぐんだったらいまのうちだよ・・・手遅れにならないうちに、自分できちんとけりをつけといた方がいいっていうことさ(靴磨き)
《わたし》は弟子丸氏から靴をプレゼントされます。映画でもフェティシズムとエロスの象徴の様に描かれる《靴》です。弟子丸氏は靴を何時も履いていることを要求します。この靴をプレゼントされてからふたりの関係は急速に近づき、関係を持つに至ります。《わたし》は《靴》履いたまま弟子丸氏と関係を持ちます。
で、その彼氏に惚れているのかい?(靴磨き)
よく分からないんです。だた彼とは、どうしても離れられない、そういう気持ちと状況だけは確かにあるんです。そばにいたいなんて、なまやさしいことじゃなく、もっと根本的で、徹底的な意味において、彼に絡め取られているんです(わたし)
そりゃあこの靴のせいだな。靴の浸食と彼氏の浸食は、つながってるよ。とにかく俺に言えるのは、今すぐこの靴を脱がなきゃ、ずっとこれからは逃げられない。絶対にこの靴は、お嬢さんの足を自由にしないっていうことだ(靴磨き)
《靴》は《わたし》を侵し、弟子丸氏に『絡め取られて』しまいます。《靴》を入口として、弟子丸氏は《わたし》の心に忍び込むことができたわけです。神道でいうところの『よりしろ(憑代)』の様なものです。そうするとですね、このふたりの逢い引きの場所、かつての女子寮の浴室というのは何を象徴しているのでしょう。かつての若い女性が裸でさんざめき集い、今はうち捨てられた浴室、若さの墓場の様な浴室。声が響く閉じられた空間、柩でしょうか。
おせっかいな口出しかもしれないが、この靴を標本にするっていうのはどうだい?(靴磨き)でも、わたし、もうこの靴をぬぐつもはないんです。自由になんてなりたくないんです。この靴をはいたまま、標本室で、彼に封じ込められていたいんです(わたし)
この後、《わたし》は自ら標本のラベルを作り、薬指を標本とするために地下室へおりてゆきます。
ほとんど『日本霊異記』の世界です。下の標本技術室の扉は黄泉に通じる扉であり弟子丸氏は黄泉の国からの使者であり、『薬指の標本』は間違いなくホラーです(笑。
わずか90ページの短編ですが、想像力を刺激する点では長編に負けません。収録されている『六角形の小部屋』も幻想的な好短編です。映画も小説もどちらもお薦めです。
ご参考 ⇒小川洋子に聞く(日経トレンディ)
タグ:読書
コメント 0