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宮尾登美子 寒椿 [日記(2012)]

寒椿 (新潮文庫)
 芸妓子方屋(紹介業)松崎で育った澄子、民江、貞子、妙子が花柳界で生きてゆく様を描いた連作小説で、「」に始まる宮尾登美子の「女衒・岩伍」シリーズのバリエーションです。
 「櫂」春灯朱夏で岩伍の娘として登場した綾子が、「寒椿」では芸妓子方屋の娘・悦子として登場し、共に育った4人の成長と芸妓の世界を描きます。悦子の育ての母である「櫂」の主人公喜和、悦子の父・岩伍も殆ど登場しませんが、「女衒・岩伍」シリーズを岩伍に育てられた芸妓の側から描いた小説だと言えます。

 宮尾登美子の他の小説同様、徹底的に「女」と「私」にこだわっています。こだわるというより、それ以外何もありません。冒頭の「澄子」の章では、散髪屋の長女から松崎を経て芸妓となり、満州に流れて、50歳を超えて地方銀行の頭取の囲われものとなった澄子の半生の物語です。階段を踏み外して全身不随、首から上だけが健常な澄子の「女」が描かれ、60歳になってなお自身の「女」に惑う姿が描かれます。
 この澄子の物語を導入部に、民江、妙子、悦子の3人が「小奴の澄子」を見舞う構成を取り、ちょっと血の巡りは悪いが50歳を過ぎて芸妓を張る「久千代の民江」、育ちのトラウマによって身を滅ぼす美貌の「花勇の貞子」、水商売から社長夫人に転身した「染弥の妙子」、それぞれの女の物語が悦子によって語られます。

 時代も世相は希薄です。昭和という激動の時代の影響を受けないわけは無いので、澄子始め民江も貞子も芸妓として満州に流れ、それなりに時代の波にもまれますが、それも彼女等を飾る衣裳(意匠?)にしか過ぎません。作家がこだわるのは、売り買いされる商品としての「女」と物ではない「女」の格闘と愛憎です。
 宮尾登美子はこのシリーズしか読んでいませんが、作家が己の出自にかける執念のようなものを感じます。宮尾登美子自身、19歳で結婚して「芸妓紹介業」の実家から逃れるように満州へ渡り、敗戦で引き揚げて来て作家となります。作家としての出発点がこの「芸妓紹介業」の実家と複雑な自分の出自ですから、(個人的な感慨ですが)つくづく女の「業」みたになものを感じます。

宮尾登美子原作の映画です・・・いつか見ます。
藏(1995)
寒椿(1992)
夜汽車(1987)
櫂(1985)
序の舞(1984)
陽暉楼(1983)

タグ:読書
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