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今からでも間に合う、読書感想文 『藪の中』 [日記(2012)]

藪の中 (講談社文庫)
 毎年この季節(8月)になると、このblogにも「読書感想文」のキーワード検索が多くなります。今回は『今からでも間に合う、読書感想文速習法』というのを考えてみました。

条件は、
1)青空文庫
2)短編、それも30分で読める短編
3)netで情報が多い
4)読書を助けるために映画化されている

ですね。4つの条件で、芥川龍之介の『藪の中』を選びました。映画は、黒澤明の『羅生門』です。古い映画なので、レンタルできるかどうかは?です。
この物語が面白いのは、推理小説として読めることです。短いですからすぐに読めます。

 時代は平安末期です。
 武士が妻と共に旅の途中で殺されます。その殺人事件の犯人として盗賊の多襄丸が逮捕されます。取り調べは当時の警察、検非違使です。
事件の概要は、だいたいこんなところです。
 盗賊の多襄丸は女(武士の妻)を馬に乗せて旅をする武士に出会います。多襄丸はこの女を一目見て彼女に惚れ自分のものにしたいと考えました。この自分のものにしたいというのは、はっきり言って「手込め」にする、凌辱することです。まず邪魔な武士と女を引き離さないと事は運びません。多襄丸は、古墳を掘ったところ鏡や刀が出てきたとか何とか言って武士を藪の中に誘い出し、縛り上げてしまいます。今度は、武士が急病になったからと女を藪の中に連れ込み、武士の目の前で凌辱します。ここまでは事実です。

 そして木樵(きこり)によって武士の死体が発見されます。うまい具合に別件で捕まった多襄丸は、武士を殺したことを自供します。犯人が捕まった訳ですから、検非違使は関係者を集めて事件の真相を明らかにしようとします。以下、尋問調書のあらましです。
 
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 多襄丸は、武士を殺したのは自分だと自白します。武士を縛り上げて思い通りに女を手に入れたので、武士を殺すつもりは無かった、女が殺せと言うから殺したのだと言います。どういう事かと云うと、女は、夫の前で犯されたので夫とは今までの関係を続けていくことは出来ない。ふたりの男に恥をさらして生きてゆくことは出来ないから、武士と多襄丸が戦って勝った方と夫婦になる、と言うのです。これを聞いて女を妻にしたいと思った多襄丸は、武士と闘い武士を殺します。勝ったのはいいのですが、闘いが終わったとき、女は姿を消していたというのです。
 
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 女を取り調べたところ、女は、武士を殺したのは自分だと自白します。女が気がつくと多襄丸は消え失せています。縛られた武士は、軽蔑と憎しみの冷えた眼差しで自分を見ている事に気付き、女は夫の目の前で無理矢理とは云え他の男に肌を許した訳ですから、もう夫婦としての関係を続けるわけにいきません。女は、自分も死ぬから武士にも死んでくれと頼み、武士を刺し殺しました。結局死にきれずに検非違使に出頭したというわけです。ふたり目の犯人が現れました。

 これは困ったと言うことで、検非違使は巫女の口を借りて殺された武士から事件の真相を聞き出そうとします。時代が時代ですし小説ですから、そう云うのもアリなんでしょう。
 
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 武士が言うには、妻を手込めにした後、多襄丸は妻に夫婦にならないかとかき口説いていたということです。こうなったからには、最早夫と夫婦の関係を続けてゆくことは出来ないはず、俺の妻になれというわけです。そして、妻の口から出た言葉は「どこへでも連れて行ってくれ」というものでした。そればかりか、武士が生きていては安心して多襄丸と暮らしていけない、武士を殺すことを多襄丸に頼んだと云うのです。多襄丸はこれにはあきれ果て、武士が望むなら女を殺してやろうか、どうする?と武士に問いかけます。これを聞いて女は逃げてしまいます。
 多襄丸は武士を縛っていた縄を切って立ち去ります。残された武士はこの妻の言動に絶望し、自殺を図ったというのです。

 小説はここで終わっています。さて、殺人事件の犯人は多襄丸なのか、武士の妻なのか、それとも自殺なのか?
真相はどれだと思います。答えはありません。

 さて感想文です。多襄丸、武士の妻、武士、三人の供述を書き、犯人を推理してその理由を書けばいいわけです。正解はないわけですから、誰を犯人に仕立て上げてもいいでしょう。犯人は不明、これもアリです。

*** 感想文 本文 ***

◆事件の概要
盗賊の多襄丸は女(武士の妻)を馬に乗せて旅をする武士に出会います。多襄丸はこの女を一目見て彼女に惚れ自分のものにしたいと考えました。この自分のものにしたいというのは、はっきり言って「手込め」にすることです。まず邪魔な武士と女を引き離さないと事は運びません。多襄丸は、古墳を掘っところ鏡や刀が出てきたとか何とか言って武士を藪の中に誘い出し、縛り上げてしまいます。今度は、武士が急病になったからと女を藪の中に連れ込み、武士の目の前で凌辱します。そして木樵によって武士の死体が発見され検非違使に届けられます。

◆検非違使の捜査

木樵りの供述
武士の死体の第一発見者。
死体のそばに縄が1本と櫛が落ちていただけで、刀は無かった。武士は、胸元に刀の一付きで殺されていた。

旅法師の供述
昨日、馬に乗った女と一緒にいるのを見た。武士は太刀を帯び、弓矢を携えていた。黒い塗り箙(えびら、矢を入れて肩や腰に掛け、携帯する容器)へ、二十あまり矢をさしていたのをはっきり覚えていると供述しています。

放免の供述(放免とは検非違使庁の下級刑吏)
粟田口の石橋の上で病気で弱っていた多襄丸を捕まえます。多襄丸は、革を巻いた弓、黒塗りの箙、鷹の羽の征矢十七本を持っていました。

嫗(おうな)の供述(殺された武士の妻の母親)
武士は若狭の国府の侍、名前は金沢武弘。娘の名は真砂、年は十九歳で男にも劣らぬくらい勝気な女だと言っています。

多襄丸(たじょうまる)の白状・・・以下三人の供述は ↑の繰り返しです。
 多襄丸は、武士を殺したのは自分だと自白します。武士を縛り上げて思い通りに女を手に入れたので、武士を殺すつもりは無かったが、女が殺せと言うから殺したのだと言います。どういう事かと云うと、女は、夫の前で犯されたので夫とは今まで通りの夫婦の関係を続けていくことは出来ない。ふたりの男に恥をさらして生きてゆくことは出来ないから、武士と多襄丸が戦って勝った方と夫婦になる、と言うのです。これを聞いて、女を妻にしたいと思った多襄丸は武士と闘い武士を殺します。勝ったのはいいのですが、闘いが終わったとき、女は姿を消していたというのです。

武士の妻(真砂)の供述
 武士を殺したのは自分だと自白します。気がつくと多襄丸は消え失せています。縛られた武士は、軽蔑と憎しみの冷えた眼差しで自分を見ている事に気付き、女は夫の目の前で無理矢理とは云え他の男に肌を許した訳ですから、もう夫婦としての関係を続けるわけにいきません。女は、自分も死ぬから武士にも死んでくれと頼み、武士を刺し殺しました。結局死にきれずに検非違使に出頭したというわけです。

巫女の口を借りた殺された武士の供述
 妻を手込めにした後、多襄丸は妻に夫婦にならないかとかき口説いていたということです。こうなったからには、最早夫と夫婦の関係を続けてゆくことは出来ないはず、俺の妻になれというわけです。そして、妻の口から出た言葉は「どこへでも連れて行ってくれ」というものでした。そればかりか、武士が生きていては安心して多襄丸と暮らしていけない、武士を殺すことを多襄丸に頼んだと云うのです。多襄丸はこれにはあきれ果て、武士が望むなら女を殺してやろうか、どうする?と武士に問いかけます。これを聞いて女は逃げてしまいます。
 多襄丸は武士を縛っていた縄を切って立ち去ります。残された武士はこの妻の言動に絶望し、自殺を図ったというのです。

◆推理

 木樵、旅法師、放免はこの事件と利害関係にありませんから、供述は真実だと思われます。嫗は武士の妻の母親ですが、武士とその妻の関係を述べるにとどまり、これも真実を述べているものと思われます。

1)多襄丸犯行説
 木樵は「死体のそばに縄が1本と櫛が落ちていただけで、刀は無かった」と言っています。多襄丸は武士を縛っていた縄を切って闘ったわけですから、木樵の証言と一致します。刀が無かったことは、多襄丸が持ち去ったものと思われます。武士をおびき出すために、古墳から出土した太刀の話しを思いついていますから、多襄丸は刀に執着を持っているものと想像されます。
 放免は黒塗りの箙(えびら)、鷹の羽の矢を十七本を持っていたと言っていますから、これも旅法師の供述と一致し、犯行後に武士の弓矢を盗ったものと考えることができます。何よりも、作者芥川龍之介が、法師と放免にこの弓矢をについて供述させていることが、多襄丸犯行説を裏付けています。多襄丸は既に捕まっているわけですし、余罪もありこの殺人を言い逃れても死罪を免れることできません。従って多襄丸の供述は真実であると考えられます。
 

2)武士の妻(真砂)犯行説
 母親の嫗の供述によると、男にも劣らぬくらい勝気の女ですから、真砂犯行説も十分に考えられます。しかし、第一発見者である木樵によると、武士の致命傷は刀による一付きということです。女の力で、しかも小刀で武士を絶命させるということは不可能に近いと思われます。
 真砂の供述は、多襄丸に手込めにされたうえ、殺された夫を残して逃げた言い訳に過ぎないと考えられ。

3)自殺説
 武士が盗賊風情に捕まって、しかも目の前で妻を陵辱された訳ですから、武士としての面目は完全に潰れています。武士は、責任を多襄丸と妻に押しつけ、己の面目を保つために自殺したと言い訳をしたわけです。あの世で迷っている武士の、ギリギリの自己救済でもあります。

◆小説としての問題点
 芥川龍之介は、『今昔物語』を下敷きにこの小説を書いたらしいのですが、『今昔物語』のなかから何故このエピソードを選んで小説に仕立て上げたのでしょう。それは、武士が殺される要因は、夫の目の前で陵辱された真砂の言動にあると思われます。三人の供述から真砂の言葉を抜き出してみると、

多襄丸
あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい。

真砂
もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥を御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。
ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します。

武士
あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。
あの人を殺して下さい。

真砂は、この情況の中で心理的な負担を無くし生きてゆくためには、多襄丸か夫かどちらかが死ぬ必要があったわけです。

1) 多襄丸が夫を殺せば、多襄丸に奪われた女として心理的な負担が無く生きて行ける。
2) 夫が多襄丸を殺せば、妻を守ったことで夫の面目もたち、今回の不幸も事故としてかたづけて夫と共に生きて行ける。

 自分を守るためには、多襄丸と夫を闘わせることが最善の道だったわけです。第三の道である真砂の自害は、本人は言っていますが実現されていません。作者が描いたのは、真砂のこの打算だったわけです。

 さらに、真砂に翻弄された多襄丸と武士の心理を作者はこう書いています。

多襄丸
わたしにはあの女の顔が、女菩薩のように見えたのです。わたしはその咄嗟の間に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。
(ふたりが決闘してその勝者の妻になるという真砂の発言を受けて)殊にその一瞬間の、燃えるような瞳を見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴(カミナリ)に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭にあったのは、ただこう云う一事だけです。

武士
(妻になって欲しいと多襄丸に言われ)妻はうっとりと顔を擡(もた)げた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、何と盗人に返事をしたか? おれは中有に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚(しんい)に燃えなかったためしはない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい。」

盗人は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事はただ頷けば好い。殺すか?」――おれはこの言葉だけでも、盗人の罪は赦してやりたい。

 おまけに、真砂の一連の言動の前で武士と多襄丸は男同士として心を通わせてしまっています。作者が描いたのは、真砂の中にある打算と女の魔性ではないかと思われます。

 というのが、私の推理であり感想です。合っているかどうかは分かりません。なかなか怖い小説です。

 原稿用紙3枚程度にまとめてみました。

 時代は平安末期、ひとりの武士が妻と共に旅の途中で殺されます。その殺人事件の犯人として盗賊の多襄丸が逮捕され、当時の警察、検非違使の取り調べが始まります。

 多襄丸は女(武士の妻)を馬に乗せて旅をする武士に出会い、この女を一目見て彼女に惚れ自分のものにしたいと考えます。多襄丸は、古墳を掘ったところ鏡や刀が出てきたとか何とか言って武士を藪の中に誘い出し、縛り上げてしまいます。今度は、武士が急病になったからと女を藪の中に連れ込み、武士の目の前で凌辱します。そして木樵(きこり)によって武士の死体が発見され検非違使に届けられます。
 検非違使によって、多襄丸、武士の妻(真砂)、巫女の口を借りた殺された武士の3人が取り調べられます。

 多襄丸は、武士を殺したのは自分だと自白します。武士を縛り上げて思い通りに女を手に入れたので、武士を殺すつもりは無かった、女が殺せと言うから殺したのだと言います。女は、夫の前で犯されたので夫とは今までの関係を続けていくことは出来ない。ふたりの男に恥をさらして生きてゆくことは出来ないから、武士と多襄丸が戦って勝った方と夫婦になる、と言うのです。これを聞いて女を妻にしたいと思った多襄丸は、武士と闘い武士を殺します。勝ったのはいいのですが、闘いが終わったとき、女は姿を消していたというのです。

 真砂は、武士を殺したのは自分だと自白します。気がつくと多襄丸は消え失せています。縛られた武士は、軽蔑と憎しみの冷えた眼差しで自分を見ている事に気付き、女は夫の目の前で無理矢理とは云え他の男に肌を許した訳ですから、もう夫婦としての関係を続けるわけにいきません。女は、自分も死ぬから武士にも死んでくれと頼み、武士を刺し殺しました。結局死にきれずに検非違使に出頭したというわけです。

 武士によると、多襄丸は妻を手込めにした後、夫婦にならないかと妻に口説いていたということです。こうなったからには、最早夫と夫婦の関係を続けてゆくことは出来ないはず、俺の妻になれというわけです。そして、妻の口から出た言葉は「どこへでも連れて行ってくれ」というものでした。そればかりか、武士が生きていては安心して多襄丸と暮らしていけない、武士を殺すことを多襄丸に頼んだと云うのです。多襄丸はこれにはあきれ果て、武士が望むなら女を殺してやろうか、どうする?と武士に問いかけます。これを聞いて女は逃げてしまいます。
 多襄丸は武士を縛っていた縄を切って立ち去ります。残された武士はこの妻の言動に絶望し、自殺を図ったというのです。

 真相は『藪の中』、推理は読者にまかされます。多襄丸犯行説、真砂犯行説、自殺説、どれでもいいのだと思われます。誰が武士を殺したかではなく、重要な事は、武士を殺す動機です。多襄丸は真砂に殺害を頼まれ、真砂は夫を刺し、武士は多襄丸の情婦となることを望んだ妻に絶望して自殺します。どちらにしろ、武士を死に追いやったのは妻の真砂であり、作者が描きたかったのは「女の魔性」だと思われます。

 3枚半です。

よかったら、以下も参考にして下さい。

お手軽 簡単 読書感想文
お手軽簡単速習法 
小林多喜二 『蟹工船①』『蟹工船②』・・・青空文庫利用
芥川龍之介 『藪の中』・・・映画併用、青空文庫利用 
須川邦彦 『無人島に生きる十六人』 ・・・青空文庫利用
坂口安吾 『ラムネ氏のこと』 ・・・青空文庫利用
藤沢周平 『蝉しぐれ・・・原稿用紙約3枚
吉村昭 『漂流』 ・・・原稿用紙約3枚
笹本稜平 『春を背負って』 ・・・原稿用紙約3枚
遠藤周作 『沈黙』 ・・・原稿用紙約3枚

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