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kindleで読書 増田俊也 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 3) プロ柔道 [日記(2014)]

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
 敗戦。国家と結んだ武徳会はGHQによって解散させられ、学制の改革によって旧制高校が無くなり高専大会も潰えます。この二大勢力の消滅によって、柔道界は講道館の一人勝ちになってゆきます。嘉納治五郎が創始した弘道館は、元をただせば旧柔術を源流に持つ柔道の一家元に過ぎません。武徳会、高専柔道が消え、ただひとつ生き残った講道館がGHQと結び漁夫の利を得ることになります。

 もともとひとつの町道場でしかなかった講道館が『自分たちは平和勢力である』とGHQを説得し、武道の中で一番先に解禁に近い形になった。そこで講道館の創ったある種の神話に、待ったをかける者がいなくなった。『講道館中心史観』がもたらした言葉の空間が、今の柔道界を支配しているんです

 と著者は社会経済学者の発言を紹介し、

 その中(増田注=戦後の『講道館中心史観』がもたらした言葉の空間)で本来の柔道とは何か、『正しい柔道』『正しくない柔道』というものがあるんだ、という見方や言葉遣いがされてきた。

 柔道が武道としての誇りを棄て、スポーツという仮面を被り権力に擦り寄った構図を、著者は激しく非難します。それは、講道館ルールを作り高専柔道を締め出そうとした保身と同じ構図です。
 高専柔道を選んだ牛島、木村は、「正しくない柔道」家として講道館柔道から閉めだされ、講道館は追い打ちをかけるように「プロアマ規程」を作り全柔連を組織して『正しい柔道』の普及と柔道家の養成を図ります。この「講道館中心史観」に抵抗する如く、牛島によって「武道」にこだわったプロ柔道が誕生し、プロ柔道家・木村政彦が誕生します。

 やっと半分ほど読み終わりましたが、まだ昭和26年あたりをウロウロしています。牛島辰熊が立ち上げた「国際柔道協」は半年ほどで立ちいかなくなり、木村政彦は「全日本プロ柔道家協会」を設立してハワのプロモーターの招聘で海外興行に打って出ます。最大の呼び物は、ブラジルの柔術家エリオ・グレイシーとの一戦です。何故ブラジルかというと、

ブラジル・・・バーリトゥード発祥の地、いま世界で隆盛をきわめている総合格闘技(MMA)の祖国である。 地球の裏側にあるこの地で、講道館柔道が別の方向へ進化し、ブラジリアン柔術となり、総合格闘技となった

 ブラジルに柔道を移植する前田光世などの先人の物語は、まさに国際規模の柔道戦国物語です。で、木村は壮絶な寝技で(参ったと言わなかったため)グレイシーの腕を折り、勝ちを制します。

 憎み合っていたブラジル人と日系人は、木村とエリオのそのあまりに崇高な戦いに胸を打たれていた。それは、試合前には罵り合っていたブラジル紙と邦字紙が、互いに敵を讃え合っている記事からもわかる。 《人々は地球の向こう側からやってきた柔術家の信じられない強さに愕然とした。

 さらに、木村vs.グレーシー戦は、高専柔道が培った寝技が時を経てブラジルの地で激突した闘いでもあります。

                     → 牛島辰熊 →木村政彦
旧制六高柔道部、金光弥一兵衛             vs.
                     → 小野安一 →グレイシー

 高専柔道の流れを汲む「七帝柔道」OBの著者ですから、ペンは熱気をはらみます。

木村先生の寝技は旧制六高の寝技なんです。牛島(辰熊)先生が現役時代に六高道場に出稽古に通って身に着けた寝技を木村先生に徹底的に叩き込んだと。絞めや関節技を重視して、それまで抑え込み中心だった高専柔道の歴史を変えた金光弥一兵衛の寝技です。そういう意味で金光さんの弟子である小野安一の寝技を吸収していたであろうエリオの寝技とここでぶつかったのは奇跡的な邂逅ですよね。時空を超えて六高の寝技が一九五一年にマラカナンスタジアムで激突したんですから

 格闘技など全く興味がないのですが、面白いです。主人公は木村政彦ですが、彼に仮託して描かれるのは講道館柔道が忘れてしまった武道であり、講道館が抹殺しようとしたもうひとつの柔道の物語です。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

タグ:読書
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