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kindleで読書 織田作之助 夫婦善哉 [日記(2014)]

夫婦善哉夫婦善哉 (新潮文庫)
 きっかけは、嵐山光三郎の『文人悪食』です。漱石から三島まで37人の文士を、「食」を切り口に縦横無尽に切りまくった快著です。太宰、安居、檀一雄は出てくるのですが、同じ無頼派に属するオダサクが出てきません。食い倒れの街大阪の生んだ織田作之助、この人を書かないのは片手落ちではなかろうかと思うのですが(続編の『文人暴食』には?)。
 とりあえず代表作の『夫婦善哉』。青空文庫で読めるのがいいです。

 取り立ててストーリーがあるわけではありません。元芸者の蝶子と梅田新道の化粧品問屋の息子・柳吉の「夫婦」振りを描いた風俗小説です。夫婦と言っても正式な夫婦ではなく、曽根崎新地で芸者に出ていた蝶子の元に、道楽息子の柳吉が通い詰め、ふたりでゲテモノを食べ歩いている間に一緒に暮らすようになったという「夫婦」。

 蝶子は一銭天麩羅屋の娘、

(蝶子の父親)種吉は算盤おいてみて、「七厘の元を一銭に商って損するわけはない」家に金の残らぬのは前々の借金で毎日の売上げが喰込んで行くためだとの種吉の言い分はもっともだったが、しかし、十二歳の蝶子には、父親の算盤には炭代や醤油代がはいっていないと知れた。

というしっかり者です。《蝶子はむくむく女めいて、顔立ちも小ぢんまり整い》新地の芸者となります。

蝶子は声自慢で、どんなお座敷でも思い切り声を張り上げて咽喉や額に筋を立て、襖紙がふるえるという浅ましい唄い方をし、陽気な座敷には無くてかなわぬ妓であったから、はっさい(お転婆てんば)で売っていた

 一方の柳吉はというと、妻子もある31歳の若旦那が新地に通い詰めるのですから、まぁ道楽者。父親に勘当され、集金の金を握って蝶子と駆け落ちとなります。その金で芸者を挙げて遊ぶわけですから、推して知るべし。この時大地震(関東大震災)に見舞われますから、大正13年であることがうかがわれます。

 さっそく「食べ物」が出てきます。柳吉は「うまい物」に目がなく、

彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚きたないことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随いて……」

と蝶子を連れてゆくのが

高津湯豆腐屋
夜店のドテ焼、粕饅頭
戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁(ころじる)
道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし
日本橋「たこ梅」のたこ
法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮(店名がスゴイ)
千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌
「だるまや」のかやく飯と粕じる

見事に庶民の味です。天王寺、生魂神社近くの一銭天麩羅屋の長男に生まれたオダサクならではの選択でしょう。

五軒の出雲屋の中でまむしのうまいのは相合橋東詰の奴やつや、ご飯にたっぷりしみこませただしの味が「なんしょ、酒しょが良う利いとおる」のをフーフー口とがらせて食べ、仲良く腹がふくれてから、法善寺の「花月」へ春団治の落語を聴ききに行くと、ゲラゲラ笑い合って、握り合ってる手が汗をかいたりした。

 この握り合ってる手が汗をかいたがいいです。二十歳の芸者蝶子と三十一の道楽者の若旦那の道ならぬ恋ですが、この語り口からすると、おはつ、徳兵衛(曾根崎心中)のようにはならなりようがありません。ドテ焼きやドジョウ汁の向こうに心中はちょっと想像できません。この小説は蝶子の視点で書かれています。蝶子が柳吉に惹かれてゆく様子は書かれているのですが、柳吉はドテ焼きや「まむし」の話はするだけで、どうやって蝶子を口説いたのかはまったく出てきません。
 駆け落ちして落ち着いたのが、黒門市場の中の路地裏の二階。蝶子は「ヤトナ芸者」となって稼ぎ、職のない柳吉に小遣いを渡す生活となります。まぁヒモです。

柳吉は二十歳の蝶子のことを「おばはん」と呼ぶようになった。「おばはん小遣い足らんぜ」そして三円ぐらい手に握にぎると、昼間は将棋などして時間をつぶし、夜は二ふたツ井戸の「お兄にいちゃん」という安カフェへ出掛けて、女給の手にさわり、「僕ぼくと共鳴せえへんか」そんな調子だった

 柳吉は、蝶子がやっとのおもいで貯めた貯金を引き出して難波新地で豪遊すします。兆個は、朝帰りの柳吉と派手な夫婦喧嘩の挙句に家を飛び出し、

京山小円の浪花節を聴いたが、一人では面白いとも思えず、出ると、この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」とかつて柳吉が言った言葉を想い出しながら、カレーのあとのコーヒーを飲んでいると、いきなり甘い気持が胸に湧いた。こっそり帰ってみると、柳吉はいびきをかいていた。だし抜けに、荒々しく揺すぶって、柳吉が眠い眼をあけると、「阿呆んだら」そして唇をとがらして柳吉の顔へもって行った。

となります。
 飽きっぽい柳吉は、勤めに出ても長続きせず、蝶子の貯金で始めた化粧品店も立ちいかず、せっかく上手く行きかけた関東炊屋、果物屋も柳吉の使い込みで左前となります。そのたびに締めつけ締めつけ、打つ、撲る、しまいに柳吉は「どうぞ、かんにんしてくれ」と悲鳴をあげる派手な夫婦喧嘩ですが、蝶子は自分の折檻が痴情めいていることを自覚します。
 柳吉の実家は妹に婿を取って柳吉を「廃嫡」、次いで柳吉は腎臓結核を患い、蝶子の苦労は続きます。最期は、

柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。

これでお終い。一銭天麩羅から始まって法善寺の「めおとぜんざい」で終わります。生活能力に乏しい道楽者の夫としっかり者の妻、大阪漫才のボケとツッコミを聞いているような小説です。
 
 会話はすべてベタベタの大阪弁、食い倒れの町にふさわしく要所要所に大阪ならでわの「食」が出てきます。大阪づくしで、私のように関西で育った人間には楽しい小説です。今度、自由軒のカレーライスと「めおと善哉」を食べに行ってみようかと思います。

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