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米原万里 不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か [日記(2014)]

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
 いやはや才女ですね。この著者のものは『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『オリガ・モリソヴナの反語法』に続き3冊目ですが、いずれも脱帽モノです。(書評『打ちのめされるようなすごい本』も読んだが性格が違う)。
 今回は、タイトルからは想像も付かない、著者の本職である「同時通訳」のインサイド・ストーリー。これが、言葉と言うものの奥深い洞察になっています。
 翻訳小説を読んでいると、時々日本語になっていない文章に出会います。SVOOやSVOCを正確に訳した結果かもしれませんが、小説ですから雰囲気を壊すような訳文はいただけません。著者はロシア語の通訳者です。この言葉を他の国の言葉に置き換えるという体験の中から、言語、人間、民族についての深い洞察を紡ぎだしています。

 小田和正の「言葉にできない」という歌がありますが、ソレです(笑。言葉よりも先に感情なり考えがあり、それを言葉にすれば何かを切り捨ててしまう、だから「言葉にできない」ということでしょう。
 つまり言葉というものは、ある概念を抽象化、平均化したものだと思われます。従って、同じ民族でも言葉の持つ意味、背景の違いによってコミュニケーションに齟齬が生じる場合があります。それが異民族、異言語間であればどうなるのか?。本書は、著者の体験を通じ、通訳、翻訳の産む悲喜劇を豊富な事例を使い、言葉、言語とは何かを考えたものです。

【抽象化】
 普段何気なく使っている話す行為、書く行為について著者はこう整理してくれます、

概念① → コード化 → 表現 → メッセージ → 認知 → 解読 → 概念②

概念というのは、ボヤッとした感覚、「コード化」というのは、「抽象化」と考えていいのでしょうか。コード化や表現によって、概念①=概念②になったり、概念①≠概念②になったりするということです。これはべつに異言語間の話ではなく、日本語どうしでも起こっている話しです。

【いとこ】
 日本語で雪というと空から降ってくる雪だけですが、イヌイット(エスキモー)には数十種類?の雪を表す表現があると聞きました。宮沢賢治の『永訣の朝』には「あめゆじゅ」という雪の表現が出てきます。イトコという文字を漢字変換すると「従姉妹」「従兄弟」「従兄」「従弟」「従姉」「従妹」「従姉弟」と変換候補がでます。本書によると、中国では「いとこ」という単一な概念は無く、父方、母方か、男か女か、年上か年下かに別れ、合計8つの「いとこ」が厳密に区分されるようです。
 民族や自然環境によって、抽象化の深度?が異なるわけです。

【善処する】
 日米繊維交渉で、ニクソンと佐藤栄作が会談したおり、佐藤栄作は「善処する」と言ったそうです。これがどう通訳されたかです。

日本語の「善処」 →なにもしない
英語で通訳された「善処」
・I will examine the matter in a forward looking manner.
・I will cope with the situation properly.
・I will take care of it.

まさか、「何もしない」と通訳するわけはないので、この3つだったのではないかと著者は想像します。いずれも前向きに検討する、誠意をもって対処するという意味です。
 これをニクソンがどう理解したかです。ニクソンは佐藤首相が‘ in a forward looking manner’、‘properly’に対処すると理解し、首相の方は国会答弁の「善処」だったわけです。この齟齬によって、佐藤首相はニクソンに嘘つきと見做され、その後の外交に影響を与えたそうです。
 これは「通訳」の問題ではなく、文化の問題なのでしょう?。

【不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か】
 過激なタイトルですが、本書を読むとよく分かります。つまり、通訳・翻訳で、その場の空気なりストーリーの流れ(文脈)を考慮して「意訳」する美女がいいのか、文法的な意味も含めて、ひとつの言語を厳密に他の言語置き換える「貞淑な醜女」がいいのか、という問題です。翻訳小説を読む一般読者としては、間違いなく「美女」がいいですね(笑。

 今読んでいるスタンダールの『赤と黒』も、誤訳問題でアレコレ言われています。『カラマーゾフの兄弟』は、亀山郁夫の新訳で完読できました。この本も誤訳だと騒がれました。何度も挫折した『カラ兄』を最後まで面白く読むことが出来たのは、亀山センセイの「不実な美女」のおかげだと思っています。批判者によると

新訳ではスメルジャコフはフョードルを含めた他人を「横目でにらんでいた」ことになっているが、原義は「うさんくさそうに見ていた」であり、読者に与える印象はかなり違うはずだ。

だそうですが...。
 
 『源氏物語』も、

ねえ、ちょっと、あなたは、あたしの言うことに口出ししてぶち壊しにするんだから。ほんと、頭に来ちゃう (第26帖「常夏」・・・近江の君 登場)

こういう林センセイの名(迷)訳で楽しく読めました。

小田和正に戻って言えば、「言葉にできない ウゥ~と言っている方がいいのかもしれません(笑。

タグ:読書
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