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トール・ヘイエルダール コン・ティキ号探検記 [日記(2015)]

コン・ティキ号探検記 (河出文庫)
 きっかけは映画『テレマークの要塞』。この「ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作」に参加したひとりKnut Hauglandが後に「コン・ティキ号」に無線係として乗り込んでいたということ知りました。書名だけは有名ですが未読、面白そうなので読んで見ました。

 北はハワ、南はニュージーラン、東はイースター島という広大な海域に点在する島々の住人、ポリネシア人は何処から来たのか?という謎に挑戦したのが「コン・ティキ号」です。イカダでペルーから海流に乗ってポリネシアの島に漂流し、ポリネシア人南米起源を実証しようとした「漂流記」です。「コン・ティキ号」は、 1947年4月にペルーのリマ(カヤオ港)を出発し、8000km、102日の漂流の後、ツアモツ諸島のラロイア環礁に到着しヘイエダールの説を実証します。というノンフィクションです。

 ポリネシア人は南米から海流にのってやってきた、というヘイエルダールの説を学会は否定します。それなら実際にイカダに乗って証明してやる!というわけです。ヘイエルダール33歳、意気軒昂です。この冒険に参加したのは、
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左からクヌート、ベングト、ヘイエルダール、エリック、トルスティン、 ヘルマン
 
エリック・ヘッセルベルグ(33歳、ノルウェー、画家・彫刻家)天文観測(六分儀)
ベングト・ダニエルソン(26歳、スウェーデン、人類学者)賄い
クヌート・ハウグランド(30歳、ノルウェー、元レジスタンス)無線係
トルスティン・ロービー(29歳、ノルウェー、元レジスタンス)無線係
ヘルマン・ワッツィンゲル(31歳、ノルウェー、エンジニア)気象観測
 
いずれも20代30代の若者。学術探検というより、冒険が彼らの血を掻き立てたのでしょうね。面白いのは、元レジスタンスが2名加わっていること。いずれも無線係です。ナチスとの戦いに比べたら、8000kmの漂流なんか大したことはない、ということでしょう。

 資金集め、米海軍への支援要請から始まって、エクアドルでバルサ材(筏の原料)の伐採、ペルー海軍の軍港を借りての筏の組み立てと、けっこうハードな仕事をヘイエルダールはユーモアいっぱいに書きます。絶対に成功するという信念、と言うより若者の踊るような冒険心です。

 このノンフィクションの特徴は、ユーモアです。

わたしはある大国の大使に呼ばれた。
「ご両親は生きておられますか」と彼は言った。そしてわたしがはいと答えると・・・
「お母さんやお父さんがあなたの死をお聞きになったら、非常に悲しまれるでしょう」

 誰もこの冒険が成功するとは考えていないわけです。こうしたユーモアが随所にあり、読んでいて飽きません。また、著者は人類学者、海洋生物学者であるとともに詩人です。海草のヒゲ生やしウミガメやブリモドキをお供に、プランクトンの燐光をなかを漂うコン・ティキ号は一幅の絵です。

 コン・ティキ号は見事にポリネシアのツアモア群島に漂着し、ヘイエルダールのポリネシア人南米起源説を実証します。現在ではこの説は遺伝子分析によって否定され、ポリネシア人の起源は東南アジアだそうですが、『コン・ティキ号探検記』の記録文学としての価値はいささかも減じることは無さそうです。

 惜しむらくは、翻訳の拙さです。イワシやトビウオが筏に飛び込み、それが美味しい食料になるというくだりです、

海とお隣り同士のように親しくするということは、トルステインがある朝目を覚まして、枕の上にイワシを発見してはじめて、彼によって実現された。

この日本語はないでしょう。こうした「直訳」が随所に見受けられます。なかには、高校で習った英語の構文そのままの日本語訳まであります。英文学の大学教授でもある訳者は、何人かのゼミの生徒に翻訳させ、それを集めて本にしたのではないかと疑いたくなります。光文社で新訳を出してくれないものでしうか。
 
 という翻訳のハンディを引いても、なかなか面白い冒険記です。 

タグ:読書
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