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司馬遼太郎 この国のかたち(1)~(4) 文春文庫 [日記(2006)]

この国のかたち〈1〉

この国のかたち〈1〉

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1993/09
  • メディア: 文庫


「国家の品格」を読んだ違和感から読み始めた、再読か再々読。1986年3月から文藝春秋に連載された巻頭随筆を集めたものであり、日本という主題があって書かれたものではない。いずれも、日本とその文化の時空を渉猟し、興味のおもむくまま原稿用紙10枚4000字にまとめたものである。時代も縄文から昭和まで、地域も日本に留まらず中国・朝鮮、ヨーロッパまで縦横無尽である。つい司馬遼太郎記念館の4万冊の蔵書を思いだし、夜更けまで資料を漁る作者を想像してしまう。

原稿用紙10枚という制限のため、主題が掘り下げられることはないが、92編の断片を組み合わすと「この国のかたち」がおぼろげに見えてくるようである。
 このシリーズは一つの主題が原稿用紙10枚で成り立っているが、「統帥権」についてだけは、(一)の「雑貨屋の定刻主義」「統帥権の無限性」「機密の中の国家」、(四)では4回にわたって述べられる。「雑貨屋の帝国主義」では、「巨大な青みどろの不定型なモノ」「異胎」を登場させ、そのモノに自らを語らせている。「君はなにかね、と聞いてみると、驚いたことにその異胎は、声を発した。『日本の近代だ』というのである。」『おれを四十年とよんでくれ』と異胎のいう近代は、日露戦争後から敗戦の四十年とされる。「(歴史を一個の人格と見なし)日本史はその肉体も精神も、十分に美しい。ただ、途中、なにかの異変がおこって、遺伝学的な連続性をうしなうことがあるとすれば『それがおれだ』。」そしてこの異胎こそが明治憲法が孕んだ鬼胎「参謀本部」だという。(4)では「(統帥権)の存在とその奇異な活動は日本史上の非遺伝的な存在だと私は感じてきた。」「この国のかたち」の中に何故紙数を費やし、異胎まで登場させ、繰り返し一見主題から離れた「日本史上の非遺伝的な存在」を語らねばならなかったか。主題から離れているどころか、統帥権とその結果としての柳じょう溝事件から敗戦までの非日本的な遺伝子の解明こそが作者の主題ではなかったかと思われる。司馬遼太郎の小説世界は、平安から明治までである(初期短編と「人々のあしおと」は戦後までカバーしているが)。(空海の風景を最後に?)小説の筆を折り、「街道をゆく」を書き続けながら、大正・昭和を舞台にした小説を何処かで準備していたのではないかと思う。それは、あるいは戦車部隊の士官・福田定一を投影した物語であったかもしれない。

司馬遼ファンには→★★★★☆


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