吉村 昭 海の史劇 [日記(2007)]
明治38年10月15日、バルチック艦隊総勢40余隻の艦船がフィンランドのリバウ港を出発するところから、物語の幕があがる。朝鮮海峡まで一万八千浬、百五十日におよぶ航海の始まりである。日本海海戦を描いた吉村昭の記録文学。
旅順では日露両軍が膠着状態にあり、日本の制海権によりロシア太平洋艦隊は旅順港とハバロフスクに閉じこめられた状態にある。バルチック艦隊はこの戦局を打開するために派遣されるが、日本連合艦隊と戦う前に、北海から喜望峰を廻る大航海、日英同盟によるイギリスの日本援護、ロシア官僚制の悪弊などと、まず戦わなければならなかった。おまけに国内は革命前夜であり、乗組員の反乱さえ懸念される航海である。こうした状況下で日本海海戦が行われる。
30サンチ砲が炸裂する海戦であり肉片が飛び散る海戦を中心に、困難な航海の果てに敗北し、部下の無駄な犠牲を避けるため自ら白旗を掲げ、最後は軍事法廷で有罪判決を受ける悲劇の提督ロジェストヴェンスキー、流れ着いたロシア兵の遺体を何代にもわたって供養する日本の島民などに周辺のエピソードもふんだんに盛り込まれたまさに「史劇」である。吉村昭の作家としての目線は、いつも通り冷静に人間の身の丈に保たれる。
その他
◆無線電信
マルコーニが無線通信に成功した(明治28年)わずか10年後に、日本海軍で無線通信が実用化されいる。→http://blog.so-net.ne.jp/e-tsurezure/2006-03-11
◆T字戦法
・・・編集中・・・
◆ポーツマス講和会議
小村寿太郎と講和会議は、同じ著者の「ポーツマスの旗」が詳しい。→http://blog.so-net.ne.jp/e-tsurezure/2005-06-18
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