映画『スパイ・ゾルゲ』の無線機 (2) [日記(2008)]
引き続きゾルゲの(実際に製作し通信を担ったのはマックス・クラウゼン)の無線機がどんなものだったか考えてみます。
篠田正浩監督『スパイ・ゾルゲ』
私の記事はここ と ここにあります。
(1)通信周波数です。
電波の到達距離を、東京~ナホトカ又はウラジオストック間の4,000kmと考えると短波による通信ですね。民家に大きなアンテナを建てる訳にはいかないですから、半波長(実際のアンテナの長さ)10m~20mの短波でしょう。夜間(スパイですから通信はやはり夜間ですね)4,000kmを小電力で通信する周波数を考えると、アマチュア無線バンドの7MHz、14MHz、現在の短波放送は5MHz、9MHz帯を使っていますから、5MHz~14MHzの間を使ったものと思われます。いずれも夜間に電波は安定して海外に届き、反対に国内はスキップするため見つかりにくいと言うメリットがあります。安定した発信を得るためには周波数が低い方が有利ですから、おそらく5MHz~7MHzを使ったのではないかと考えられます(もっとも、周波数を低く取ると、長いアンテナが必要となるデメリットはありますが)。(2)受信機編
放送局型123号受信機
クラウゼンは米国製の最新の真空管を携えて日本に来、無線機はそれを使い東京で部品を調達して組み立てたとあります(ロバート・ワイマント『ゾルゲ 引裂かれたスパイ』)。ゾルゲ達にとっては受信よりも送信が重要だった筈ですから、この真空管は送信用だった思われます。
ウラジオストックの送信所からは大電力で送信すれば貧弱な受信機でも十分受信が可能です。限られた設備で東京から4,000km電波を飛ばそうと思えば、性能のよい送信用の真空管が必要だった筈です。
ひとまず受信機から考えることにします。
ゾルゲの来日は1933年(昭和8年)です。当時の日本のラジオ事情が分かればおおよその想像は付きます。
年表風にまとめると ↓ の様になります。こちらで情報を頂きました。
*************************************
1932年(昭和7年) ラジオ聴取契約者が100万を超える
RCA(米) ST管 57,58 発売
東京電気(現在の東芝)ST管 57,58 を国産化
1935年(昭和10年)日本放送協会がラジオ認定制度を制定
1937年(昭和12年)ラジオ聴取契約数 300万を超える
1938年(昭和13年)日本放送協会が『放送局型受信機』を制定
*************************************
この放送局型受信機は
放送局型受信機1号
検波(UZ57)-低周波増幅(UY47B)-整流(KX12F) 再生式グリッド検波方式
当時の東芝の3球受信機は37円だったそうです。
放送局型受信機3号
高周波増幅(UZ-58)-プレート検波(UZ-57)-低周波増幅(UY-47B)整流(KX-12B)
並三に高周波増幅を加えたものです。
放送局型123号受信機 1940年(昭和15年)
高周波増幅(12Y-R1)-検波(12Y-V1)-低周波増幅(12Z-P1)-整流(24Z-K2)
高1再生式グリッド検波 トランスレス(57円60銭)
当時のラジオは、並三(倹波→低周波増幅、整流の3球)、並四(倹波→低周波増幅→電力増幅、整流の4球)、高一(高周波増幅→倹波→低周波増幅、整流の4球)が主流だったようです。いわゆる0-V-1、0-V-2、1-V-1ですね。スーパーヘテロダイン受信機も市販されていたようですが、高級品の部類でしょう。クラウゼンが部品を調達するとすれば、このレベル受信機の部品だったと思われます。既成のラジオを買ってコイルを巻き直した方が手っとり早いでしょう。BCL用途で、再生倹波の0-V-1が今でも実用になることを考えると、並三か高一の改造受信機だったと想像します。スーパーヘテロダインと云う選択枝もありますが、筐体も大きくなり、トランクに詰め込んで車で移動するとなると根拠が薄いです。
よって、ゾルゲの受信機は短波に改造した並三だと言うことにします。
放送局型受信機1号の回路図です。赤丸のコイル部分を改造すれば短波受信機への転用は容易です。
トランクに詰め込んでスパイ仲間の家から送信するエピソードが出てきますが、映画でも車に無線機を積んで移動送信するシーンがありました。送信場所を特定されないためには必要な措置でしょう。問題は電源です。住宅から送信する場合は100Vの交流が使えるから問題ないわけですが、車から送信するとなると電源はどうしたのでしょうか。初期のラジオは電池式でしたから、受信機は問題ないでしょうが、送信機も電池駆動だったのでしょうか?この疑問は送信機編で考えることとします。
(3)送信機編
当時のラジオの情報はあるのですが、送信機となると全くありません。当時の日本軍がどんな機材、周波数を使っていたのかを調べているうちに面白い記事を見つけました。佐々木譲の『エトロフ発緊急電』に、米諜報員が海軍の技術将校に短波ラジオの制作を依頼する場面があります。短波ラジオの次に送信機の製作を頼むのですが、その時の将校の返答を佐々木譲は
『米国RCAにUX2JOという真空管があります。こいつを二本並列で使い、百ボルト電圧を変圧器で八百(ボルト)あたりまで昇圧してやれば、送信機ができる。』(エトロフ発緊急電 P83・新潮文庫)
と書いています。面白いのはこの記述ではなく、この記述をめぐる佐々木譲の公式ホームページの日記です。2006年05月22日に以下の記述があります、
『横浜の読者、Iさんから『エトロフ発緊急電』の誤植指摘のメールをいただいた。宣教師スレンセンのために盛田昭夫が作る無線機の真空管の型番についてだ。Iさんは、この部分の原資料はゾルゲ事件の記録であろうと推理したうえで、だとしたら使われている真空管の型番がちがうと指摘してくれた。
種明かしをすると、あの無線機についての記述の資料はたしかに、みすず書房『現代史資料』シリーズ中の『ゾルゲ事件検事調書』。わたしはこの記録に出てくる真空管型番を誤記してしまったようだ(Jと1とを読み違えた)。』
クラウゼンがアメリカ持ち込んだ真空管はUX210だったようです。
映画でも、このUX210であるかどうかは別にして同じ「茄子管」と呼ばれる真空管が使われています。小道具も資料にあたって正確さを期しているのでしょう。
送信管が分かると想像は一気にふくらみます。
調べるとUX210はGE/RCAで1925年に開発され、日本では東芝がUX202の名称で製造した様です。UX210規格を見ると
プレートに425V、18mAかけるとあります。一方UX202の方は、400V、60mAで出力8Wと謳っています。だいぶ性能に開きがあります。クラウゼンが800V印加したかどうかは分かりませんが(定格の×2の電圧をかければ出力は増えるでしょうが、真空管が保ちませんね)、アマチュア無線で使う10Wの送信機が、電信であれば海外と交信できることを考えると、妥当な線です。上記の佐々木譲の日記によると、クラウゼンはUX210を『二本並列で使』ってたとあるので、おそらく10W程度の出力だったのではないかと思われます。映画でもちゃんと2本使っていますね。
どんな回路だったのか興味があるのでnet検索すると、VE3CFEというアマチュア無線家の方のVintage Amateur Radio StationsにUX210を使った送信機の記事がありました。
記事を読むと、UX210(350V)で発信させて、UX210パラレル(500V)で増幅する80m(3.5MHz)の自励送信機のようです(回路図はパラレルになっていませんが)。
結構大きいですね、これではトランク(鞄)に入れて持ち運びはできません。
VE3CFEのリンクからwa5vlzという方のHPで真空管を『二本並列で使った』送信機を見つけました。
この送信機はUX45を試用していますが、まさに『二本並列』(push-pull)です。
この程度の大きさであれば、トランク(鞄)に入れて持ち運びが可能でしょうね。
これで、『ゾルゲの無線機』の大まかな姿が分かりました。結論は、
送信機:UX210(RCA)を2本使った自励式電信送信機・・・曖昧(^^;)
周波数:5~7MHz、出力10W
受信機:並三改造の短波受信機(0-V-1)・・・多分
アンテナ:電線・・・イイカゲン(^^;)
ゾルゲが使った無線機を想像したわけですが、映画の小道具とはいえ資料を調べ正確に作ってあるのですね。
次は、送信機と受信機を作って、映画『スパイ・ゾルゲ』の無線機 (3)を書きたいと思います・・・できるかな?
篠田正浩監督『スパイ・ゾルゲ』
私の記事はここ と ここにあります。
(1)通信周波数です。
電波の到達距離を、東京~ナホトカ又はウラジオストック間の4,000kmと考えると短波による通信ですね。民家に大きなアンテナを建てる訳にはいかないですから、半波長(実際のアンテナの長さ)10m~20mの短波でしょう。夜間(スパイですから通信はやはり夜間ですね)4,000kmを小電力で通信する周波数を考えると、アマチュア無線バンドの7MHz、14MHz、現在の短波放送は5MHz、9MHz帯を使っていますから、5MHz~14MHzの間を使ったものと思われます。いずれも夜間に電波は安定して海外に届き、反対に国内はスキップするため見つかりにくいと言うメリットがあります。安定した発信を得るためには周波数が低い方が有利ですから、おそらく5MHz~7MHzを使ったのではないかと考えられます(もっとも、周波数を低く取ると、長いアンテナが必要となるデメリットはありますが)。(2)受信機編
放送局型123号受信機
クラウゼンは米国製の最新の真空管を携えて日本に来、無線機はそれを使い東京で部品を調達して組み立てたとあります(ロバート・ワイマント『ゾルゲ 引裂かれたスパイ』)。ゾルゲ達にとっては受信よりも送信が重要だった筈ですから、この真空管は送信用だった思われます。
ウラジオストックの送信所からは大電力で送信すれば貧弱な受信機でも十分受信が可能です。限られた設備で東京から4,000km電波を飛ばそうと思えば、性能のよい送信用の真空管が必要だった筈です。
ひとまず受信機から考えることにします。
ゾルゲの来日は1933年(昭和8年)です。当時の日本のラジオ事情が分かればおおよその想像は付きます。
年表風にまとめると ↓ の様になります。こちらで情報を頂きました。
*************************************
1932年(昭和7年) ラジオ聴取契約者が100万を超える
RCA(米) ST管 57,58 発売
東京電気(現在の東芝)ST管 57,58 を国産化
1935年(昭和10年)日本放送協会がラジオ認定制度を制定
1937年(昭和12年)ラジオ聴取契約数 300万を超える
1938年(昭和13年)日本放送協会が『放送局型受信機』を制定
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この放送局型受信機は
放送局型受信機1号
検波(UZ57)-低周波増幅(UY47B)-整流(KX12F) 再生式グリッド検波方式
当時の東芝の3球受信機は37円だったそうです。
放送局型受信機3号
高周波増幅(UZ-58)-プレート検波(UZ-57)-低周波増幅(UY-47B)整流(KX-12B)
並三に高周波増幅を加えたものです。
放送局型123号受信機 1940年(昭和15年)
高周波増幅(12Y-R1)-検波(12Y-V1)-低周波増幅(12Z-P1)-整流(24Z-K2)
高1再生式グリッド検波 トランスレス(57円60銭)
当時のラジオは、並三(倹波→低周波増幅、整流の3球)、並四(倹波→低周波増幅→電力増幅、整流の4球)、高一(高周波増幅→倹波→低周波増幅、整流の4球)が主流だったようです。いわゆる0-V-1、0-V-2、1-V-1ですね。スーパーヘテロダイン受信機も市販されていたようですが、高級品の部類でしょう。クラウゼンが部品を調達するとすれば、このレベル受信機の部品だったと思われます。既成のラジオを買ってコイルを巻き直した方が手っとり早いでしょう。BCL用途で、再生倹波の0-V-1が今でも実用になることを考えると、並三か高一の改造受信機だったと想像します。スーパーヘテロダインと云う選択枝もありますが、筐体も大きくなり、トランクに詰め込んで車で移動するとなると根拠が薄いです。
よって、ゾルゲの受信機は短波に改造した並三だと言うことにします。
放送局型受信機1号の回路図です。赤丸のコイル部分を改造すれば短波受信機への転用は容易です。
トランクに詰め込んでスパイ仲間の家から送信するエピソードが出てきますが、映画でも車に無線機を積んで移動送信するシーンがありました。送信場所を特定されないためには必要な措置でしょう。問題は電源です。住宅から送信する場合は100Vの交流が使えるから問題ないわけですが、車から送信するとなると電源はどうしたのでしょうか。初期のラジオは電池式でしたから、受信機は問題ないでしょうが、送信機も電池駆動だったのでしょうか?この疑問は送信機編で考えることとします。
(3)送信機編
当時のラジオの情報はあるのですが、送信機となると全くありません。当時の日本軍がどんな機材、周波数を使っていたのかを調べているうちに面白い記事を見つけました。佐々木譲の『エトロフ発緊急電』に、米諜報員が海軍の技術将校に短波ラジオの制作を依頼する場面があります。短波ラジオの次に送信機の製作を頼むのですが、その時の将校の返答を佐々木譲は
『米国RCAにUX2JOという真空管があります。こいつを二本並列で使い、百ボルト電圧を変圧器で八百(ボルト)あたりまで昇圧してやれば、送信機ができる。』(エトロフ発緊急電 P83・新潮文庫)
と書いています。面白いのはこの記述ではなく、この記述をめぐる佐々木譲の公式ホームページの日記です。2006年05月22日に以下の記述があります、
『横浜の読者、Iさんから『エトロフ発緊急電』の誤植指摘のメールをいただいた。宣教師スレンセンのために盛田昭夫が作る無線機の真空管の型番についてだ。Iさんは、この部分の原資料はゾルゲ事件の記録であろうと推理したうえで、だとしたら使われている真空管の型番がちがうと指摘してくれた。
種明かしをすると、あの無線機についての記述の資料はたしかに、みすず書房『現代史資料』シリーズ中の『ゾルゲ事件検事調書』。わたしはこの記録に出てくる真空管型番を誤記してしまったようだ(Jと1とを読み違えた)。』
クラウゼンがアメリカ持ち込んだ真空管はUX210だったようです。
映画でも、このUX210であるかどうかは別にして同じ「茄子管」と呼ばれる真空管が使われています。小道具も資料にあたって正確さを期しているのでしょう。
送信管が分かると想像は一気にふくらみます。
調べるとUX210はGE/RCAで1925年に開発され、日本では東芝がUX202の名称で製造した様です。UX210規格を見ると
プレートに425V、18mAかけるとあります。一方UX202の方は、400V、60mAで出力8Wと謳っています。だいぶ性能に開きがあります。クラウゼンが800V印加したかどうかは分かりませんが(定格の×2の電圧をかければ出力は増えるでしょうが、真空管が保ちませんね)、アマチュア無線で使う10Wの送信機が、電信であれば海外と交信できることを考えると、妥当な線です。上記の佐々木譲の日記によると、クラウゼンはUX210を『二本並列で使』ってたとあるので、おそらく10W程度の出力だったのではないかと思われます。映画でもちゃんと2本使っていますね。
どんな回路だったのか興味があるのでnet検索すると、VE3CFEというアマチュア無線家の方のVintage Amateur Radio StationsにUX210を使った送信機の記事がありました。
記事を読むと、UX210(350V)で発信させて、UX210パラレル(500V)で増幅する80m(3.5MHz)の自励送信機のようです(回路図はパラレルになっていませんが)。
結構大きいですね、これではトランク(鞄)に入れて持ち運びはできません。
VE3CFEのリンクからwa5vlzという方のHPで真空管を『二本並列で使った』送信機を見つけました。
この送信機はUX45を試用していますが、まさに『二本並列』(push-pull)です。
この程度の大きさであれば、トランク(鞄)に入れて持ち運びが可能でしょうね。
これで、『ゾルゲの無線機』の大まかな姿が分かりました。結論は、
送信機:UX210(RCA)を2本使った自励式電信送信機・・・曖昧(^^;)
周波数:5~7MHz、出力10W
受信機:並三改造の短波受信機(0-V-1)・・・多分
アンテナ:電線・・・イイカゲン(^^;)
ゾルゲが使った無線機を想像したわけですが、映画の小道具とはいえ資料を調べ正確に作ってあるのですね。
次は、送信機と受信機を作って、映画『スパイ・ゾルゲ』の無線機 (3)を書きたいと思います・・・できるかな?
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