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佐野眞一 甘粕正彦 乱心の曠野 [日記(2008)]


甘粕正彦乱心の曠野

甘粕正彦乱心の曠野

  • 作者: 佐野 眞一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/05
  • メディア: 単行本


 500ページ近い分厚い本ですが一気に読みました。甘粕正彦といえば、関東大震災の戒厳令に乗じてアナーキスト大杉栄と伊藤野枝、幼い子供の3人を虐殺した憲兵隊大尉として歴史上の人物です。あれこれを読んで、甘粕が恩赦で釈放されて後満州に渡り、満映理事長として満州の夜に君臨したということを知りましたが、本書はこうした常識を一気に覆し、昭和の怪人甘粕正彦を白日のもとに晒すノンフィクションです。満州の阿片王と云われた里見甫を扱った『阿片王』に続く『満州の夜と霧 第二部』です。

第1章 幕末のDNA
第2章 憲兵大尉の嗚咽
第3章 鑑定書は語る

の3つの章で著者は、甘粕が大杉栄他2名を殺害していないこと、殺害は陸軍(憲兵隊)内務省(警察)の暗黙の了解事項であったこと、甘粕はこの事件のスケープゴートであったことを明らかにします。
 甘粕の自供と昭和51年になって発見された『死因鑑定書』の矛盾、保釈後の憲兵隊の腫れ物に触るような扱い方など、直接間接の証拠が多数紹介されていますが、ノンフィクションとして説得力を持つのは、生存する親族や証人にインタビューし甘粕の実像に迫って行く著者の姿です。これは、ノンフィクションというフィクションを読む最大の楽しみです。 では何故甘粕はスケープゴートに甘んじたのか、確信をもってスケープゴートとなったのか。この動機については傍証はありますが、明らかにはされていません。第1章で語られる様に『幕末のDNA』としか云いようのない実直律儀を絵に描いた様な甘粕の性格と、天皇を敬うことが人一倍篤かったその国家主義者としての信念としか云いようがありません。
 『主義者殺し』の汚名を着て10年の刑期を恩赦により2年半で終えて出所した甘粕は、満州に現れます。満州の甘粕正彦こそ本書のテーマです。一旗揚げるために満州に渡ったのではなく、『甘粕憲兵大尉』の虚像から逃れるため、日本からはみ出した人間が生き得る場所として満州を選ばざるを得なかったのでしょう。甘粕の渡満には北一輝と並ぶ右翼の大物、後の5・15事件の首謀者・大川周明が深く係わっています。出所後、憲兵隊の庇護のもとに身を隠し、陸軍の機密費で渡仏し、帰国後大川周明の満鉄・経済調査会に身を置きます。甘粕本人が好むと好まずに係わらず、まさに時代に絡め取られていったということしょう。満州に渡ってからの甘粕の経歴を見るとこれは一目瞭然です。

********************************
1929年 フランスから帰国、大川周明と接触、後満州に渡る
1931年 ハルピンで爆弾テロを行い満州事変拡大の契機となる 11月溥儀、天津を脱出(→満州で出迎えたのは甘粕)
1932年 3月満州国建国、民政部警務司長に就く
1934年 大東公司設立に参加
1937年 協和会中央本部総務部長に就任
1938年 満州国訪欧使節団副団長としてヨーロッパ訪問 ヒトラー、ムッソリーニ、フランコに会う
1939年 大東協会会長就任、満映理事長に就任
1941年 太平洋戦争
1945年 8月敗戦、青酸カリで服毒自殺
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これが、殺人罪で懲役10年の判決を受けた刑余者の事跡です。甘粕自らの『努力と功績』もさることながら、『主義者殺し』甘粕憲兵大尉に『時代』が用意した役割だったと著者は云います。
 ナイーブな魂を殺人者の強面で覆い、スケープゴートにした陸軍の弱みを逆手に取って、満州の地で己の理想を実現しようとします。しかし、『主義者殺し』の汚名を負った甘粕は陽のあたる世界では生きられず、『満州の昼は関東軍が支配し、満州の夜は甘粕が支配する』『満州の夜と霧の深い闇に下半身が溶け込んだ』甘粕正彦としてしか生きられなかったのです。

 序章で著者はこう書きます、

『・・・全国に学生運動の嵐が吹き荒れたあの時代、耐えに耐えたあげく死地に赴く鶴田浩二や高倉健の虚無感を漂わせた着流し姿は、学生たちの幼いルサンチマンをこの上なく慰撫してくれた・・・私はヤクザ映画にそれ以上のものを感じはじめていた。銀幕から伝わってくるこのデモニッシュな衝動は、いったいどこからやってくるのか。・・・私は東映が、元憲兵大尉の甘粕正彦が理事長だった萬映の残党たちによって戦後つくられた新興の映画製作会社だと知ることになった。・・・映画人たちの間で「義理欠く、恥かく、人情欠く」と陰口される東映の三角マークの裏側に隠された、えもいわれぬ快美感と、それとは裏腹の名伏しがたい恐怖感には、”主義者殺し”の烙印を押されたまま自決した甘粕の無念と、満州の地平線に沈む血のような色をした大きな夕日が、底知れないニヒリズムとなって照り返しているのではないか。』

これは妄想です。しかし、著者のこの妄想が読む者に乗り移るほどに、本書が描く甘粕正彦の闇は深いのです。

面白かったです →☆☆☆☆☆

<<覚え書き 甘粕正彦関係年表>>
1981年 仙台で生まれる
1905年 津中学を卒業後、名古屋陸軍幼年学校に入学
1910年 陸軍士官学校に入学
1912年 5月、陸軍士官学校を卒業
1915年 落馬事故(歩兵の道が閉ざされる)
1918年 7月中尉の時に転科し、憲兵中尉
1921年 6月憲兵大尉昇進、市川憲兵分隊長に就任
1922年 1月渋谷憲兵分隊長
1923年 9月大杉栄・伊藤野枝等3名を虐殺
1923年 12月軍事法廷で禁錮10年の判決
1926年 10月出獄
1927年 7月陸軍の予算でフランスに留学
1928年 6月張作霖爆殺事件(河本大作)
1929年 フランスから帰国、大川周明と接触、後満州に渡る
1931年 9月柳条湖事件(板垣征四郎、石原莞爾)ハルピンで爆弾テロを行い満州事変拡大の契機ととなる 11月溥儀、天津を脱出(→満州で出迎えたのは甘粕)
1932年 3月満州国建国、民政部警務司長に就く、5.15事件 10月リットン調査団報告書を公開
1934年 大東公司設立に参加
1936年 二・二六事件
1937年 協和会中央本部総務部長に就任
1938年 満州国訪欧使節団副団長としてヨーロッパ訪問 ヒトラー、ムッソリーニ、フランコに会う
1939年 大東協会会長就任、満映理事長に就任
1941年 4月日本軍が南部仏印へ侵出、12月真珠湾奇襲
1945年 8月青酸カリで服毒自殺
タグ:満州
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