浅田次郎 五郎治殿御始末 [日記(2008)]
『お腹召しませ』同様、御一新(明治維新)直後に題材を取った浅田次郎の短編集です。『五郎治殿御始末』が先に書かれ、『お腹召しませ』が生まれたようで、読書としては後先が逆になりました。本書は『お腹召しませ』の様に枕もなく、いきなり本題に入ります。
維新後の明治と云うと、ザンギリ頭に牛鍋、瓦斯燈、『書生気質』や漱石の『猫』の世界が思い浮かびますが、これは明治も中頃以降の話で、維新直後といえば、東京と呼び名は変わっても江戸を引きずった時代だったのですね。当たり前と云えば当たり前、新しい時代が来たからと云って人々の暮らしは続いているわけです。
気の毒だったのは武士階級で、主家と扶持が無くなって失業となります。都合よく新政府に仕えることが出来なかった武士は、帰農するか商人になるしか道は無かったわけです。本書は維新から数年後のこうした武士階級の非喜劇を描いたものです。
商人になった旗本を描く『椿寺まで』、函館戦争当時交わした証文に悩まされる、文部少輔となった徳島藩士を描く『箱館証文』、陰暦が太陽暦に変わる明治6年立ち会った元天文方を主人公とした『西向く士』。新しい時間表示に悩まされ遅刻を繰り返す近衛砲兵中尉を描く『遠い砲声』、桜田門外の変で井伊直弼を守れなかった彦根藩士のその後を描いた『柘榴坂の仇討』、桑名藩士として藩、家、自身の後始末を孫の視点で描き本書の題名ともなる『五郎治殿御始末』。
明治維新により大きく運命を狂わされた武士の生きざまを、浅田次郎特有の暖かい眼差しで描いています。いずれの物語にも、日本人が今では失ってしまった、一本筋の通った生きざまが描かれています。
★★★
私も読みました。
明治維新の前後の世の中の感じが伝わってきて、興味深かったですね。
時代の雰囲気だけでなく、そこに生きる人の心が伝わってきます。
by 本のソムリエ (2009-05-24 15:23)
浅田次郎は何を書かせてもそつがありませんね。
by べっちゃん (2009-05-24 22:16)