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岡田温司 マグダラのマリア ~エロスとアガペーの聖女 [日記(2009)]


マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)

  • 作者: 岡田 温司
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/01
  • メディア: 新書


 何故『マグダラのマリア』なのか?
云わずと知れた『ダ・ヴィンチ コード』です。
 端折って云うと、キリストには妻(マグダラのマリア)がいてその家系は連綿と現代まで続いている。キリストの家系の謎解き、その家系を守るシオン修道会と、キリストに子孫がいると困るオプス・デイという宗教組織(背後にヴァチカン)との抗争を描いたのが『ダ・ヴィンチ コード』です。
 
 ダン・ブラウンの小説を読んだときはそれほど面白いとは思わなかったのですが、映画を観て興味を惹かれました。『最後の晩餐』のヨハネが女性であるとイアン・マッケラン(役の名前は忘れました)がソフィーに映像で説明するシーンには、驚かされました。誰も知っている『最後の晩餐』に女性が描かれていたのですから!。この女性こそが『マグダラのマリア』というわけです。

以下は私の備忘録です(間違いがあっても責任は持てません)。
『マグダラのマリア』とは何者なのか?
と言う前に、イエスとは何者なのか?です。
Wikipediaによると

・ナザレ出身であったという確実な史料はないが歴史的に実在したと考えられている。
・イエスが自ら書き残したもの、弟子たちの著作も無い。
・彼の言行録である福音書は、イエスの生涯を忠実に記すことを意図したものではなく、それぞれの著者が属していた原始キリスト教団の思想を表すために書いた宣教文書である。
・イエスは1世紀にパレスティナのユダヤの地(ガリラヤ周辺)で活動したが、イエスはユダヤ教の宗教的指導者であるラビであり、ユダヤを救うキリスト(メシア)として民衆から支持された。

キリスト教も草創期は新興宗教ですから、失礼な想像かもしれませんが、イエスも大本教の出口なお、天理教の中山みきの様な存在だったのかもしれません(ふたりとも女性ですが)。そして、イエスをとりまく弟子たちとイエスに帰依する信者がいて、ひとつの共同体を作っていた、それが原始キリスト教の初期の姿だと想像します。マグダラのマリアもそうした弟子あるいは信者のひとりだったのでしょう。

 マグダラのマリアは聖書(福音書)に登場します。では、福音書とは何なのか?

福音書
 福音書とはキリストの言行録のことで、新約聖書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる4つの福音書がある。マタイ、マルコ、ルカは共通する記述が多く、『共観福音書』と呼ばれ、ヨハネは他の三つの福音書に比べて思想的・神学的色彩が濃いものとなっています。他にペテロ、トマスによる福音書などがあるが外典と分類されています。

 福音書は、期限100年前後に成立し、ギリシャ語で書かれています。マタイによる福音書であれば、イエスはこう言ったよとペテロは言っているよ、と誰かが書いたわけです。よって、マタイ、マルコ(一番古い?)、ルカ、ヨハネそれぞれによって受取り方はそれぞれ、また書く人間の受取方、恣意性にも左右されます。おそらく最初はアラム語か何かで書かれ、ギリシャ語に翻訳されたことを考えると、イエスの事蹟は『伝言ゲーム』のように変容があったと想像されます。

 異端とされる外典ですが、これは4つの福音書が誕生した後2世紀頃書かれたもです。ペテロ、トマスの他フィリポがあり、エジプト人の福音書、ヘブライ人の福音書、何と(マグダラの)マリアによる福音書、ユダの福音書まであります。これらの外典は、グノーシス派の教典として成立し、正統によって抹殺されたものがナグ・ハマディ写本の発見(1950年)によりその存在が明らかになりました(トマスによる福音書は1945年、ユダによる福音書は1978年にそれぞれエジプトで発見された)。

 イエスの語録集?『Q資料』なるものの存在も想定されていて、

マタイ福音書の構成=マルコ(原マルコ) + Q資料 + マタイに独自の特殊資料
ルカ福音書 の構成=マルコ(原マルコ) + Q資料 + ルカに独自の特殊資料

という想像が成り立ちます。

 よって、「イエスかく語りき」という文書(福音書)はいろんな共同体(宗派?)によって色々に書かれているわけで、それぞれのイエスが存在するわけです。

マルコによる福音書:68年~73年ごろ成立
マタイによる福音書:70年~100年ごろ成立
ルカ による福音書:80年~100年ごろ成立
ヨハネによる福音書:90年~110年ごろ成立

十二使徒
 マグダラのマリアを想像する上で、彼女とともに福音書の語り部達、イエス周辺の弟子『十二使徒』を知る必要があります。
 異説はあるものの、
ペトロ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、シモン、イスカリオテのユダ
の12人です。有名どころは、

・ペトロ ⇒ガラリヤ湖の漁師、アンデレとともにイエスの最初の弟子となる。弟子たちのリーダー的存在。一時、窮地に立たされてイエスを仲間ではないと裏切った。ローマでネロ帝の迫害下で逆さ十字架にかけられて殉教。『ペトロの手紙』『ペトロによる福音書』
・ゼベダイの子ヤコブ ⇒ヨハネの兄弟、ガラリヤ湖の漁師。
・ヨハネ ⇒ヤコブの兄弟、ガラリヤ湖の漁師。『ヨハネによる福音書』『ヨハネの黙示録』?
・アンデレ ⇒ペトロの弟?、ペトロとともにイエスの最初の弟子。
・マタイ ⇒ローマ帝国の徴税人。『マタイによる福音書』の語り部。
・イスカリオテのユダ ⇒金貨30枚で祭司長たちにイエスを売った、お馴染みの『ユダ』。

です。

彼らがマグダラのマリアをどの様に見、福音書の著者に如何に伝えたかです。

福音書の中の『マグダラのマリア』 (岡田温司 マグダラのマリア のまとめ)
 マグダラのマリアは4つの福音書にもれなく登場します。彼女は『福音の旅』『キリストの磔刑』『埋葬』『復活』において登場しまが、登場のしかたが異なります。

a)福音の旅
ルカにのみ登場し、キリストは7つの悪霊を祓い彼女の病気を直します。

b)キリストの磔刑
4つの福音書に登場。
マタイ、マルコ、ルカ:遠くから眺めていた。
ヨハネ:十字架のそばに立っていた。

c)埋葬
埋葬の立会人として、マタイ、マルコ、ルカに登場し、ヨハネには登場しません。

d)復活
4つの福音書に登場しますが、記述に温度差があります。
彼女が墓に行くと
マタイ:御足を抱いてイエスを拝んだ。イエスは使徒達に復活を告げよ、と言った。
マルコ:復活に恐怖を抱き墓から逃げ去った。その後再び彼女の前に現れ使徒達に復活を告げよ、と言った。彼女が復活を告げると彼らはそれを信じなかった。
ルカ:彼女が復活を告げると使徒達それを信じなかった。
ヨハネ:使徒達に復活を詳しく告げた。

マルコとルカでは、イエスの復活と言う『重要事項』がマリアから告げられても、使徒達は信用しなかったと、冷淡に記載しています。

著者は、
『主の復活の証言者という、キリスト教信仰に根本にかかわる特権が、一女性に帰せられうるものであってはならなかったのであろう。』
『マグダラのマリアは、原始キリスト教において、女性の地位と役割をめぐる葛藤を体現する存在・・・。』
と想像しています。

『マリアによる福音書』
 外典のひとつに『マリアによる福音書』があります。このマリアはマグダナラのマリアのことで、四福音書に比べてさらに詳しく記されています。
・イエスは彼女を『伴侶』と呼ぶ
・イエスは彼女に接吻した
・イエスは彼女を優れた幻視者、預言者と評価している
・彼女に嫉妬したペテロと確執があった

 四福音書は、意識的に彼女を排除しようとしているが、ここでは、マグダナラのマリアはイエスに特別に愛された存在として描かれています。イエスをメシアとして教団を組織し、組織を守ってゆくためには、イエスに愛された彼女の存在は邪魔だったのでしょう。女性を愛するイエスは、その神性が否定されかねませんから。ペテロは最も初期のイエスの弟子であり、使徒のリーダーとして原始キリスト教の共同体を組織する立場にありますから、マリア排斥の先鋒だったのでしょう。

著者はこう書きます、

『四福音書では・・・マリアを牽制することによって、使徒的で家父長的な教会の権威が際だたされている・・・外典のなかのマグダラは、いわばマグダラの「無意識」とでも呼べるものを構成している・・・「父」の権威によって抑圧されたとしても・・・この「無意識」の痕跡は、芸術においてさまざまなかたちで表面化する。』

これこそが本書の主題です。

では、時代とともにマグダナラのマリアが教会の中でどう扱われ、芸術の中でどう描かれたかです。

『七つの大罪』のマリア
 ルカ福音書にあるイエスが追い出した『七つの悪霊』が『七つの大罪』にすりかわり、マリアはかつて『七つの大罪』を犯した女性へと変貌します。
『罪深い女』
さらに、ルカ福音書の、イエスに足下にひざまづき自分涙で濡らしたイエスの足を髪で拭う『罪深い女』のイメージが加わります。
ベタニアのマリア
 イエスに香油を塗り、その足を自らの髪で拭った。
エジプトのマリア
 12歳で娼婦となり、エルサレム巡礼で自らの罪を悔い47年の苦行と瞑想で生きたマリア。

この4つのイメージが融合し、マグダナラのマリアの『悔い改めた娼婦』としてのイメージが完成します。これは教会の改竄・剽窃ばかりではなく、悔い改める必要のある民衆が作り上げた幻想です。イエスに人類の罪を背負わせたように、マグダナラのマリアに改悛を負わせたわけです。

『・・・時代を経るごとに、彼女は、次々と新しい装いで、わたしたち前にその姿を現す。マグダナラのマリアとは、まるで、そこのわたしたちの欲望や願望、期待や不安がそのつどそのつど書き込まれてゆく・・・』のです。そして、この聖と俗の両義性が芸術として表現されるとき『エロスとアガペーの聖女』(本書の副題)として描かれるのです。

 メル・ギブソンの『パッション』にもマグダナラのマリアも登場します。演じたのはモニカ・ベリッチです。21世紀において、『エロスとアガペーの聖女』はモニカ・ベリッチの肉体を借りて顕現します。

マリア2.jpg マリア.jpg
           メル・ギブソン『パッション』 マリアとマグダラのマリア

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