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読書 村上 龍 五分後の世界 [日記(2010)]

五分後の世界 (幻冬舎文庫) 太平洋戦争において、日本帝国がポツダム宣言を受諾せず本土を戦場に徹底抗戦を行ったならばどうなったか?どんな世界が、どんな日本が生まれたか?それが『5分後の世界』の主題です。敗戦を受け入れず本土決戦すればどうなったのかと云う妄想を正面から取り上げた小説は初めてで刺激的です。

 日本帝国は1945年8月15日に終戦を迎えず、日本軍は長野県の地下司令部への移動します。原子爆弾は広島、長崎に続き、8月19日小倉、8月26日新潟、9月11日 舞鶴へ投下され、11月3日には アメリカ軍が南九州に上陸を開始します。 1946年には米軍が東京を占領し、その後の日本は北海道、東北をソ連、本州、九州を米国、四国を英国が分割統治する被占領国となります。地下に潜った日本軍は地下司令部を拡張し、そこに独立国家『アンダーグラウンド』を建国し、米国を中心として国連軍とゲリラ戦を戦うという舞台設定です。

 原爆が5回炸裂したこの世界に、原爆が2回炸裂した世界の小田桐が迷い込むわけです。両方の世界できっかり五分の時差があったので『五分後の世界』。SFで言うパラレル・ワールドです。小説ですから詮索しても仕方が無いのですが、沖縄戦までは両方の世界は同じ道をたどり、ポツダム宣言を受諾するところで決定的な差が生まれ、一方は無条件降伏の世界となり、もう一方は徹底抗戦から分割統治の世界へ運命が分岐します。 

  もし、本土決戦を行わずに、沖縄をぎせい(犠牲)にしただけで、大日本帝国が降伏していたら、日本人は「無知」のままで、生命をそんちょう(尊重)できないまま、何も学べなかったかもしれません。(国民学校小学部六年教科書 社会)

 舞台は興味深い世界、実験的世界なのですが、ストーリーが荒削りでもの足りません(続編もあるようですが)。作者が描きたかったのは、『五分後の世界』なのか、『五分後の世界』に置かれた小田桐なのかです。二つは裏と表で同義なのでしょうが、無条件降伏を拒否し26万人まで減少した日本人と日本国を描くことで、沖縄を犠牲にし『
何も学ばず』生き残ったこの世界を炙り出そうとしたのであれば、それは成功したのかどうか。
 小田桐は元の世界に帰るためオールドトーキョウへ向かい戦闘に巻き込まれます。物語の最後で、自分を守るアンダーグラウンドの兵士が倒れ、小田桐は銃を取り時計を5分進めます。これは 、小田桐がこの世界で兵士(日本人)として生きてゆく決心をしたのでしょう。

 『半島を出よ』ほどの長編にして、「無知」のままで、生命をそんちょう(尊重)できないまま、何も学べなかった日本を徹底的に書いて欲しかった、たぶん本書を手に取った多くの読者の感想ではないでしょうか?

 国民、非国民、精神高揚剤『向現』、ビッグバンなどメタファーに溢れ、ワカマツというシンセサイザー奏者など魅力に富んだ人物も登場します。300ページの中編で終わるには、どうも大風呂敷を広げすぎた様です。

 『五分後の世界』を読むと『エヴァンゲリオン』『ターミネーター』の世界を連想してしまいます。『半島を出よ』を読んだ時も思ったのですが、きわめて視覚的な小説で、このまま映画になりますね。

タグ:読書
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