E-PL1s持ってウォーキング 泉北小谷城址コース [日記(2011)]
本日のコース 泉北ぐるりんウォーキングをご参照
ウォーキング第2弾、泉北ぐるりんウォーキングの小谷城址コースです。自宅を起点に10kmですからお手軽コース。見どころは、美多禰神社、和田家(非公開)、小谷城郷士館、小谷城址と泉北の初夏の緑です。当然、E-PL1sをぶら下げT-01Aをポケットに入れての散歩です。写真を撮りながら歩きますから、ブラブラと4時間のコースです。
・・・延喜式神名帳にも記された古社である。天正年中織田信長の兵火にかかり焼失したが、文禄元年(1592)に至り和田道讃が本殿を再建した。・・・社叢は8250㎡あり、しりぶかがし・あらかし・楠・榊等の樹林が広がっている。しりぶかがしはブナ科の常緑中高木で丘陵地などに生育するが、このように100本近くの樹林を形成する例は稀である。また分布上でも西日本に多いこの樹林の東限近くにあたる為に昭和48年(1973)3月30日に大阪府の天然記念物に指定された。(堺市の表示)
ちなみに、美多禰神社は我が家の氏神様みたいなもので、地鎮祭、七五三、厄払い、初詣などなど全部ココです。
和田家遠景 和田家
美多禰神社を再建した和田道讃と関係あるんでしょうね。由緒ありげな広い屋敷に樹木が鬱蒼。残念ながら非公開です。
トトロが出そうな和田家の森 栂・美木多駅の北に広がる西原公園
小谷城址
小谷さんの表札がかかっていました 小谷城郷士館
小谷城址、石碑のみ 小谷城址から望む泉北ニュータウン
小谷城は13世紀(鎌倉時代)に、標高80mの泉北丘陵高台の自然の地形を利用し築城され、栂山城(現在の原山台)豊田城(現在の泉北高校)と共に鼎城といわれ、平氏一族の小谷氏の居城でした。
南北朝時代には前方千早城からののろし火を受けて、南朝のの浜寺大雄寺に通信を送る中継所として重要な役割を果たしましたが、戦国時代に入り一帯が根来党あったため、織田信の根来攻めにより天正3年(1575年)落城しました。(城址の案内文) 古城探訪が詳しいです。
泉ヶ丘地区の大蓮池 ビッグ・バン
ビッグバンの名誉館長は松本零士です。ビッグバンを経て泉北高速鉄道泉ヶ丘駅経由で帰りました。通勤定期あるし・・・(笑。
何しろ田舎ですから、田んぼと畑はの間を縫って散策するわけですで果物がやたり目に付きます。この他に、無花果、柘榴、柿、蜜柑、梅などなど。獲っては駄目で、撮るだけです(^^;)。
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