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浅田次郎 終わらざる夏(下) [日記(2013)]

終わらざる夏 下
 下巻の入手に手間取って少し間があきましたが、読みだすと止まりません。流れるような語り口とツボを押さえた構成で、泣かせます。片岡、菊池、富永の三人の兵士の物語だと思っていましたが、下巻に入るとますます登場人物が増え、ロシア人まで登場します。様々な階層の人の立場から、太平洋戦争は何だったのかということが描かれます。

【静代と譲】
 信州に学童疎開した片岡の息子譲が登場します。譲は、片岡が出征し、空襲の激しい東京でひとり暮らしをしている母久子を心配して疎開先から脱走を図ります。そして、これもを空襲で母親を亡くし傷痍軍人の父と妹を守るため脱走した静代と出会い、ふたりは徒歩で東京に向かいます。静代は譲よりひとつかふたつ年上ですですからお姉ちゃん、姉弟のコンビです。静代の母親が非常食として持たせてくれたお手玉に入った豆を食べながら、人目の少ない裏道を歩きます。
 それでも静代と譲は地元の少年たちに見つかってしまいます。子供は子供の論理でふたりを警察に突き出すこともせず、少年は飢えたふたりに焼きトウモロコシを与えます。
  
これ 食え
銭は持ってねえから、ごめんな

考えねばならないと静代は思った。浅井先生がつねづねおっしゃっていることだ。自分が幸福を感じたとき、その幸福がいったい誰によって、何によってもたらされているのかを、必ず考えなければならない。そうでなければ幸福を受けとめる資格がない。

 戦前の日本には、こうした優しく高潔な倫理というものが小学生にまで浸透していたのでしょうね。もちろん小説、つくりり話ですが、そうと分かっていてもこのエピソードが心に届くとすれば、私の中に失ってしまった倫理の残滓みたいなものがあるんでしょう。
 「玉音放送」で終戦を知った疎開先の教師は、つぶやきます。

たとえ日本が戦争をやめても、あの子たちはたった二人で戦争を続けているのよ

 静代と譲は、軽井沢で不思議な体験をします。サーシャと名乗るロシアの少年と出会います。このサーシャは、後に占守島を攻めることとなる赤軍中尉アレクサンドルの「生霊」です。六条御息所は嫉妬に狂って生霊となり葵の上を殺しますが、戦争に疑問を抱くアレクサンドルは、生霊となって静代と譲とシンクロし、ライ麦パンを与えふたりを守ります。またアレクサンドルは、途中で応召兵のと出会い上野に辿りつた静代と譲のもとにも現れます。応召兵の身体を借りてふたりの無事を確認し、譲を迎えにきた片岡の妻久子と出会います。
 この「生霊」の挿話もなかなか感動的です。そう言えば、『活動写真の女』『鉄道員』にも幽霊が登場し生身の人間と交流しました。

【占守島】
 占守島の戦いについて、この小説で始めて知りました。ソ連が終戦間際の8月9日に「日ソ中立条約」を一方的に破棄して満州になだれ込みますが、千島列島の最北端でも同じ事がおこっていたわけです。

 英語に堪能な片岡が派遣されるくらいですから、占守島には停戦のために米軍が来ることが予想されていました。「日ソ中立条約」があるために、ソ連の侵攻は予想されていません。大本営は、米軍が北と南から来ると考え、23000の将兵を置き占守島を要塞化し、満州から精鋭の戦車第11連隊まで移動させ守りを固めています。8月15日に、最北端の島に無傷の23000の陸軍の精鋭がいたこととなります。8月18日、8300のソ連軍が上陸し、迎え撃つのは23000の機械化部隊。普通、城攻めには3倍の兵力が必要と言われます。硫黄島では、日本軍2.3万に対して米軍11万が押し寄せています。ソ連の兵力は逆に1/3、迎え撃つ日本陸軍は戦車60輌を擁する23000の機械化部隊。小説の中で、アレクサンドル中尉がぼやきますますが、これは死ねということに他なりません。

 ソ連は、「 樺太・千島交換条約」(1875)によって日本領となった千島列島を取り戻すため、占守島で血を流す必要があったのです。ドイツとは「大祖国戦争」で多大な犠牲を払って戦っていますから、戦勝国として権利を主張できますが、日本とは「日ソ中立条約」によって戦闘はなく、戦勝国としての利は薄いものとなります。スターリンは、8月9日に駆け込むように満州で日本と戦端を開き、8月18日には強盗のように占守島に上陸します。

熊ワ ケンカニ負ケタ者ヲナグッタタメシアリマセヌ。モシソノヤウナヒケフ者ガ居タナラ
熊ワ ユルシマセヌ。
實ワ ソノヤウナコトニナリマシタ。ヒケフ者ヲユルスワモツトヒケフナノデ熊ワ戦ヒマス。(富永熊男の遺書)

【ヘンリー・ミラーの『セクサス』】
 小説は、ヘンリー・ミラーの『セクサス』の短い翻訳文で終わっています。『セクサス』は、戦争が終わって自由な時代が来たら、翻訳出版しようと片岡が考えていた本です。
 何故『セクサス』なのでしょう。性的描写にあふれた(らしいです)小説が出版できる平和で自由な時代の到来を告げているのか、戦争で引き裂かれた片岡と久子、大島と千和、アレクサンドルとレノーチカを始めとする多くの男女への鎮魂なのでしょうか。戦争は「公」ですが、男女は「私」ですから。

【戦車第11連隊】
 大島准尉が所属する、満州から占守島に写された戦車連隊で、「占守島の戦い」の中核をなしたようです。この連隊にちなむ陸上自衛隊 第11戦車大隊が北海道にあるそうで、サイトには以下の文言がありました。

 旧陸軍戦車第11連隊は、第11の11(漢数字の十一)を武士の「士」(さむらい)と読み、以後、士魂部隊と愛称しました。
 この戦闘(占守島の戦い)においてソ連軍は満州・朝鮮の戦闘を上回る損害を受け、ソ連政府機関紙「イズベスチヤ」をして「本土戦最悪の日である。」と言わしめました。もしこの戦闘でソ連軍の侵攻を許し、北千島から南千島に至る間の占領を許していたならば、現在の北海道はソ連軍による直接侵攻を受け、日本の領土として存在しない可能性があったと言われています。

タグ:読書
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コメント 2

k_iga

浅田次郎はやはり上手いですよね。
一時は署名本をせっせと集めましたっけ。

映画「壬生義士伝」は後半の中井貴一のシーンが長くて長くて・・・。
あのシーンを1/3位にすれば良かったのに。
by k_iga (2013-05-16 06:34) 

べっちゃん

上手いですね。オジサンには、村上春樹よりよっぽど面白いです。『マンチュリアン・レポート』の文庫が出たので、読んでみます。
by べっちゃん (2013-05-16 09:11) 

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