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浅田次郎 マンチュリアン・リポート [日記(2013)]

マンチュリアン・リポート (講談社文庫)
 張作霖を主人公とした『中原の虹』は、張が山海関を超えて中原に入ったところで終わっていました。本書、『マンチュリアン・リポート』は、張作霖爆殺の真相をめぐる、『中原の虹』の余話(あるいは続編)です。
 「張作霖爆殺事件」は関東軍の謀略だというのが今日の定説です。時の総理大臣・田中義一は、昭和天皇への報告で天皇の不興を買い、田中内閣は瓦解します。物語はこの直後からスタートしまう。

 出だしは快調です。治安維持法改正反対のビラを撒いて禁錮刑を受けた陸軍歩兵中尉・志津邦陽は、深夜密かに監獄から連れ出されます。連れ出したのは内閣書記官長・鳩山一郎と侍従武官長・奈良武次、着いた先は皇居。ここで、志津はなんと昭和天皇に会い、「張作霖爆殺事件」の真相を探る密命が下されます。天皇が肉声で話す小説は初めてです。

 小説は、志津中尉が天皇に宛てた報告書“A Manchurian Report”と“A Monologue of Iron”のふたつが交互に配置される構成をとっています。“A Monologue of Iron” ⇒「鉄の独白」?。何かというと、爆殺された張作霖が乗っていた機関車の擬人化された独白です。機関車が喋り始めるのですからビックリします。“A Monologue of Iron”は、途中から張作霖と機関車の会話となり、志津中尉と張作霖の両面から事件を語るという構成です。なかなか面白い趣向です。

 小説の舞台となる、当時の北京の政治状況は複雑です。袁世凱が死んで権力の空白が生まれ、袁の権力母体である北洋軍閥は分裂して権力闘争を繰り返し、これに張作霖の奉天派がからんで権力の主はころころ代わります。そしてけっきょく、張作霖が権力を握り、1926年中華民国陸海軍大元帥を名乗って中原の覇者となります。一方で、孫文の後継者である蒋介石が北伐(対張作霖)を開始、これに満鉄の権益と日本人保護のため関東軍が乗り出すという三つ巴の状況。この状況下で張作霖は北京を去って故地奉天へ帰りますが、途中列車を爆破され暗殺されます。

 天皇が知りたかったのは、従って志津中尉の探索は、張作霖は何故誰によって暗殺されたのか、この暗殺に関東軍=日本はどの程度関わっているかということです。
 当時の首相・田中義一は、暗殺は関東軍高級参謀・河本大佐の単独犯行である旨を天皇に上奏しますが、軍部の圧力に屈し、一旦認めた河本及び関東軍の関与を否定します。この毀誉褒貶が天皇の怒りを招き、今回の志津による調査となったわけです。事件そのものを「満州某重大事件」として国民の目から隠し、うやむやに闇に葬ろうとしました。
 事件後、河本大佐は予備役に編入され、除隊の後、満鉄道理事、満州炭坑理事長、山西産業(国策会社)社長となっています。「甘粕事件」の後、満映理事長となった甘粕正彦同様、論功報奨のようなものです。

 志津中尉がまず目を向けたのが張作霖と同行しながら、難を逃れた人々です。

張作霖・・・死亡
奉天派の将軍・呉俊陞・・・死亡
奉天派の将軍・張景恵・・・重傷
国務院総理・潘復・・・負傷
軍事顧問・儀我少佐・・・かすり傷
軍事顧問・吉永将大佐(架空の人物)・・・重傷、片足を失う

奉天派の将軍・張宗昌・・・天津で下車
奉天派の政治家・常蔭槐・・・先行列車(囮列車)に乗り換え
軍事顧問・町野武馬予備役大佐・・・天津で下車

 小説ですから、何人もの証人、証拠が都合よく現れます。
 見送りの北京の駅頭で、張作霖の乗る客車を奉天に打電した関東軍調査班将校、数百キロの黄色火薬と電線を運ぶ関東軍の将校に出会った鉄道守備隊、事件を国民党軍の謀略に見せかけるために、関東軍によって証拠死体にされかかったアヘン中毒患者。
 志津の調査は河本の単独犯行ではなく、関東軍による組織的暗殺をうかがわせるものです。さらに、北京から奉天まで列車に乗り込み実地検証し、
 
1)張宗昌以下の3人は、何故難を逃れ得たのか?
2)時速80マイルでる列車が、何故20マイルの遅いスピードで走ったのか?
3)列車そのものを爆破せず、満鉄の高架橋を爆破してその落下で客車を破壊するという迂遠な方法を取ったのか?
 
という謎が現れます。

1)吉永は、町野武馬から一緒に天津で下車するように誘われたことを告白します。また吉永は、張宗昌が張作霖と何事か密談している現場に出くわし、張作霖は吉永に天津で下車することを勧めます。吉永は、張宗昌が張作霖に暗殺計画が起こることを警告したのだと理解します。張宗昌、常蔭槐、町野武馬の3人は、列車が山海関を超えた何処かで爆破されることを知っていたようです。
2)張作霖が暗殺の危険を承知していたことを裏付ける証拠が、何時でも暗殺を回避できる時速20マイルというスピードです。
3)については詳しい説明は無く、爆破現場が京奉線と満鉄連長線の立体交差地点であることから、満鉄の関与を示唆するにとどまっています。
 
 問題は、張作霖が何故自ら死地に飛び込んだのかです。囮列車も用意し、いつでも対処できるスピードで走るよう命じていますから、殺されるつもりはなさそうです。この辺りがよく分かりません。よく分からないと言えば、何故満州に帰らなければならなかったのかです。一般には、1)蒋介石の北伐に破れた、2)右腕の郭松齢が反乱を起こすなど凋落気味だった、3)奉天派の北京政府は破産寸前だった、4)欧米の支持が国民党に向き離れ孤立した、などなど複合的状況での戦略的撤退なんでしょうか。小説ではこの2点があいまいです。『中原の虹』の読者なら理解できるだろうという書き方で、「龍玉」を持ち出されてもとまどいます。
 
 では、何故関東軍は張作霖を暗殺したかです。これはもうはっきりしています。当時満州国の建国計画を進めていた関東軍にとって、張作霖に東三省(=満州)へ帰られては満州経営に差し支えます。かつては軍事顧問団まで送り込んだ奉天軍は邪魔者以外の何ものでもありません。関東軍が河本大佐に示唆したのか、河本が暗黙のうちにその意思を汲み取ったのかは分かりませんが、事件後の河本の処遇や、首相・田中義一への軍部の圧力を考えると、これはもう陸軍の犯罪と言わざるをえません。

 本書は、『蒼穹の昴』に対する『珍妃の井戸』のような位置づけにあると思われます。『珍妃の井戸』は、単独で歴史ミステリーとして楽しめましたが、『マンチュリアン・リポート』はシーリーズの中の一遍という気がします。面白かったですが、そのあたりが減点★★ですね。
 『終わらざる夏』という完成度の高い作品を読んだ後なので、少し物足りません。

タグ:読書 満州
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