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子母澤寛 『新選組物語』 [日記(2013)]

新選組物語―新選組三部作 (中公文庫)
 子母澤寛の「新選組三部作」は、『新選組始末記(1928)』、『新選組遺聞(1929)』『新選組物語(1955)』です。今回読んだのは三巻目『新選組物語』で、冒頭いきなり「隊士絶命記」で沖田総司の最期が描かれ、全巻これ新選組の「落日」を扱っています。慶応3年の油小路事件、近藤勇狙撃事件、4年の「鳥羽伏見の戦い」あたりから、「甲州勝沼の戦い」を経て板橋で勇が処刑されるまでのエピソードが、周辺の人物の聞き語りというスタイルで展開されます。「池田屋事件」などの新選組最盛期の話は、『新選組遺聞』にあるのでしょう。
 鳥羽伏見で戦死したといわれる、浅田次郎『壬生義士伝』で有名になった吉村貫一郎のエピソードも登場します。

 本書は、子母澤寛が小説家として一家をなした頃のもうで、『新選組始末記』に比べると創作、小説の性格が強く出ていますが、生存者の聞き書きという部分はしっかり書き込まれています。

『近藤勇の屍を掘る』 近藤勇五郎翁思い出話(昭和5年)
 勇五郎とは、勇の娘・瓊子(たまこ)の夫です。この人が、勇の斬首を目撃しているらしいです。勇五郎、勇の兄の音五郎たちは、首のない勇の遺体を掘り返して菩提寺で弔おうとします。埋められているのは板橋の刑場にある墓地で、隠亡に金を渡して遺体を引き取るわけです。死体はいずれも首がありませんから、勇五郎たちは、勇が伏見の墨染めで撃たれた鉄砲傷で本人だという確認をします。

 これを探すと、只今の一銭銅貨位の大きさで、それが、親指が入る程、深くなっていました。
「これだこれだ、間違いない間違いない」
 といって、それから七人がかり、棺箱へ入れようとするが、何しろ埋められてから三日も経っているので、腕でも、脚でも、こっちでつかむと、ずるずるっとむけてくるので困りました。
父(音五郎)は、これを抱くようにして、
「残念だろう残念だろう」
 と泣きます。

 夜が更けている上に、通る人もないので、ただ私達の足音だけが、ぴしゃぴしゃという響きがして、何とも言えぬ淋しさでありました。今でも忘れませんが、虫の声が、実に腸へ染みるようでありました。

 勇五郎たちは、この遺体を三鷹市の龍源寺に葬ったということです。哀れを誘います。
近藤勇の墓は、会津若松、愛知県岡崎市、板橋などにありますが、この龍源寺が一番確かなようです。首は京都に送られたらしく行方不明。三条河原より盗まれて岡崎市の法蔵寺に埋葬されたともいわれていますが。

『かしく女郎』
 これも、鳥羽伏見の闘いで負けた新選組が、富士山丸で江戸へ帰って後の話です。新選組二番組組長・永倉新八が主人公です。久々の江戸の地を踏んで、永倉はじめ隊士は、品川の妓楼でハメを外しています。永倉は、この妓楼の側で斬り合いにおよび、目の下に少し傷を受けます。妓楼に帰り、「かしく」という不思議な女郎に出くわします。

「ね、永倉の殿様。相手はすぐに斬られて終わったんですか、一度も打ち合わせずに」
「うむ」
「でもお刀の峰に少しする傷が出来ました。上から斬ってきたのを殿様は下からすり上げて、そのまま相手をお斬りですね」
「うむ」
永倉は、あッ気にとられていた。他の同士も、ただ黙って、まじまじと女を見ているだけであった。

まさに女が言うとおりの斬り合いであったということです。これだけなら、話になりません。

永倉翁遺談
宿舎へ帰ってくると、土方が奥座敷にただ一人火鉢を前に苦虫をかみつぶしたような顔をして考えこんでいた。・・・黙ってわしの目の下の傷を指して、
「永倉さん、軽いからだでは御座らんぞ。少し自重されたいものだ」
と言った。いやどうも閉口したよ。

 土方は、きっと「栗塚旭」風に言ったんでしょうね(笑。
 
土方.jpg ←「新選組血風録」 

当blogの新選組

子母澤寛 新選組始末記
浅田次郎 一刀斎夢録
映画 新選組始末記(1963)
津本 陽 虎狼は空に -小説新選組-
火坂雅志 新選組魔道剣
森村誠一 虹の生涯 新撰組義勇伝
澤田ふじ子 冬のつばめ(新選組外伝・京都町奉行所同心日記)
北方謙三 黒龍の柩
浅田次郎 輪違屋糸里

@「燃えよ剣」「新選組血風録」「壬生義士伝」などの定番が入っていません。そのうちに再読して載せます。

タグ:読書
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