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角田光代 八日目の蟬 [日記(2014)]

八日目の蝉 (中公文庫)
 映画を見ました。それなりに面白かったのですが、もうひとつ納得がゆかなかったので原作を読んでみました。

 不倫相手の赤ん坊を誘拐し薫と名づけて育てる希和子の物語(原作では第1章)と、誘拐が発覚し4歳で実の両親のもとに帰り成長した薫=恵理菜の物語(原作では第2章)の二本立てです。映画は、希和子と薫を扱った部分は情感たっぷりに描かれるのですが、成長した薫=恵理菜の物語に存在感を感じません。映画では、恵理菜とライターの千草が、希和子と過ごした4年間の思い出の地を訪ね、恵理菜は希和子の母性を感じることでシングルマザーとして生きていこうとする物語が描かれています。(たぶん)小説の主題であるこの恵理菜の物語が、映画としては不十分ではないか?、原作ではどうなっているのか?、です

【第1章】・・・希和子と薫
 映画を見ているので、特に新しい発見はありません。
 
【第2章】・・・恵理菜と千種
 第1章を「問題提起編」とするなら、第2章は「解決編」です。
 第1章では、希和子本人の口から誘拐に至る動機が語られ、世間から追われる母子の逃亡劇が情感を込めて描かれます。第2章では、恵理菜を語り手としてマスコミ報道、裁判における希和子の発言、エンジェルホームの実態、恵理菜の父母の実像が描かれます。かつてエンジェルホームの住人で恵理菜の幼馴染、千種が登場します。恵理菜は千種とともにエンジェルホームや小豆島を訪ね希和子と逃亡した4年間の記憶をを序々に取り戻します。

 興味深かかったのは「エンジェル・ホーム」の件(くだり)です。「エンジェル・ホーム」は、一種の駆け込み寺ですが、千種によると、ホームの入所条件は、流産・堕胎経験があるか、先天的・後天的に不妊であることが健康診断で証明されなければならないというです。男の子どもは入所できず、外部から「通園」となります。つまり、「エンジェル・ホーム」は、女性ばかりの、しかも出産において何らかの問題を抱えるか、不妊の女性の集団ということになります。言い換えると、「男はもうこりごり」という男性拒否の「女の楽園」を目指した集団だと言えます。

 ホームの研修というのも面白いです。所持金(財産)を取り上げ、新聞雑誌(たぶんTVラジオも)など外部の情報を遮断し、「あなたは男か、女か」という問いを究極まで考えさせ、男でも女でもない「魂」の問題と捉える研修です。

自分は女だ、自分は若くはない、自分は醜い、そいう思いこみは全部、いらない荷物だと思わない?手放してしまえば、うんと軽くなるようなものだと思わない

という洗脳が、研修として行われます。

 千草によってこの小説の性格が明らかにされます。ホームの主催者は、希和子が誘拐犯であることを知って匿います。千種によると、ホームが欲しいのは母親ではなく子ども=薫であり、ホーム主催者は、ホームで生まれ、ホームの考えに染まった純粋培養の子どもを増やしてゆこうとしていた、というものです。
 エンジェルホームとは、男性を否定し、女性原理を中心に据えた集団です。世界が男性と女性で出来上がっている以上、これは反社会的集団です。この集団が、理念通り突っ走ると、国家権力と衝突することになるはずです。小説のなかで、ホームの代表は犯人蔵匿の罪で執行猶予の判決を受けていますが、エンジェルホームの暴発はありません。ホームは健康ブームなどの時流を捉えて、去勢された集団へと移行します。

 この小説に登場する男性は、ふたりだけです。希和子の不倫相手で薫=恵理菜の実父・丈博と、恵理菜の不倫相手の岸田です。丈博は希和子を堕胎させ薫誘拐事件を引き起こした元凶であり、帰ってきた恵理菜と妻の確執を積極的に解決しようとせず、恵理菜によって「逃げている」と表現されます。岸田もまたズルズルと恵理菜と不倫の関係を続け、妊娠した恵理菜に堕胎を迫ります。このふたりは、作者によってダメな男性として徹底的に戯画化されます。

 作者が描いたものは、加害者の男性と被害者の女性、その女性たちによるユートピアです。さらに、恵理菜が岸田の要請を退けて子ども産みシングルマザーとして生きることを小説の「希望」としています。ほとんど、男性呪詛の小説のように思われます。

タグ:読書
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