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丸谷才一 『笹まくら』 [日記(2014)]

笹まくら (新潮文庫)
 昭和15年から5年間、20歳から25歳の青春を徴兵忌避者として全国を逃げまわった、浜田庄吉の戦中戦後の物語です。
 似たような小説に、戦争犯罪の追求から逃れる男を描いた、帚木蓬生の『逃亡』があります。『逃亡』が主人公の逃亡そのものを描いているの比べ、『笹まくら』は徴兵忌避と逃亡が戦後の主人公にどのような影を投げかけるのか、徴兵忌避者が生きる戦前と戦後という時代はどう違うのか、ということが主題となっています。

 戦後20年が経ったとありますから、1960年代の話です。私立大学の職員として妻と平凡な生活を送る浜田の元に一通の葉書が届きます。かつて逃亡を共にした阿貴子の訃報でした。この訃報に促され、浜田は太平洋戦争中の5年間の徴兵忌避者の生活と現在を、振り子のように行ったり来たりすることとなります. 
 
 面白いのは、1960年代の浜田の意識がスッと1940年代にスライドし、また戻ってくることです。ふたつの時代を描くわけですから、普通章立てを分けるなりするのでしょうが、突然、語り手・浜田庄吉が徴兵忌避者・杉浦健次として語り出します。
 川本三郎の「解説」を読むと、ジェイムズ・ジョイスの「意識の流れ」の手法が使われているそうです。言葉としては知っていましたが、なるほど。
 昭和20年8月15日を境に戦前と戦後という時代に区分され、あたかも社会や人間が変わったように理解しがちですが、人は連続して生きています。この手法が、時代と人間の連続性を表現するには、適した表現形態なのかも知れません。

 大学の職員・浜田の生活に亀裂が訪れます。徴兵忌避者としての過去が、勤務先の課長補佐という地位を脅かし、地方の系列高校への異動を促されます。時代はベトナム反戦運動が盛り上がりを見せ始める頃です。自治会の学生新聞が、浜田を英雄として取り上げ、神道系の大学当局を刺激したようです。

 浜田は、徴兵忌避の確信犯として入営の前日逃亡しますが、その動機というものが読み手に伝わってきません。軍隊に対する嫌悪、人を殺したくも殺されたくもない等々いろいろ動機が語られますが、切羽詰まった決定的動機というものがありません。『笹まくら』において、徴兵忌避は主題ではないのではないか、主人公は、「自由」のために国家と時代、社会と家族から逃亡を図ったのではないかと思います。

 浜田は杉浦健次となって、ラジオと時計の修理をしながら後には砂絵師を生業としながら全国を逃げ回り、敗戦後は浜田庄吉に戻り、大学職員となります。徴兵忌避者・杉浦健次と大学職員・浜田庄吉の生活と意識が描かれます。犯罪者として全国を逃げまわる杉浦の描写と独白が生き生きと瑞々しいことに比べ、サラリーマンとしての浜田は、大学の雑事に煩わされ昇進を阻まれ左遷の途上にあります。ふたりが出会う人々も、杉浦に砂絵を教える砂絵師の稲葉、口入れ屋・朝比奈をはじめ魅力的な人物が配され、浜田には、俗臭芬々たる庶務課の同僚や調子はいいが薄っぺらな仏語教師・桑野など意図的に類型化された人物が配されます。
 その典型が、逃亡中の杉浦が米子で出会い、その後生活を共にする質屋の娘・ 阿貴子と、浜田が大学の理事の紹介によって結婚した若くて美人の妻・陽子です。犯罪者である杉浦をかばう年上の阿貴子の情愛と、20歳近く?歳の離れた陽子のわがままという形で描かれます。隠岐島で結ばれる杉浦とふたりの描写は、恋愛小説のひとコマとして情感のこもったものです。

杉浦健次 →戦争中、徴兵忌避者、逃亡生活、香具師(砂絵師)、阿貴子
 
浜田庄吉 →戦後、中産都市生活者、大学職員、陽子

 徴兵忌避者の杉浦の逃亡生活の方が、くたびれた課長補佐の浜田の生活より数段幸せのようです。

 小説は、本来は冒頭にあるべき20歳の浜田が、徴兵忌避者として第一歩を踏み出すシーンで終わっています。あたかも、希望に向かって踏み出すように。

タグ:読書
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