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林望 薩摩スチューデント、西へ [日記(2015)]

薩摩スチューデント、西へ (光文社時代小説文庫)
 りんぼうセンセイの小説です。「薩摩スチューデント」とは、1865年に薩摩藩がイギリスに送った外交使節団19人の内15人の留学生を指します。当時は鎖国ですから、幕府に秘密に行われた留学です。この手の留学は、1863年の井上薫、伊藤博文等(長州ファイブ)の英国留学があり、維新の原動力となった薩長が揃って同じことをしているとは面白いです。
 本書は、おそらく、留学生の手記を下敷きにしたノンフィクションノベルで、15人の留学生を描いた青春小説、ビルトゥングスロマンです。

 当時の政治の潮流は尊皇攘夷でありしかも鎖国ですが、幕府自体が列強と通商条約を結び、横浜、神戸を開港、 咸臨丸で外交使節をアメリカに送り込むという時代ですから、雄藩である薩摩や長州がイギリスに留学生を送り込んでも不思議ではないでしょう。
 薩摩は、かつて開明君主・島津斉彬を戴き、藩を挙げて西欧化に走った過去があり、生麦事件に端を発する薩英戦争でイギリスに負けていますから、西欧の制度文物を取り入れる合理性を十分に理解していた藩です。
 そうした時代の空気と、久光側近の小松帯刀は、五代才助(友厚)のイギリスに留学生を送るという建白を受け入れます。

 15人、正確には外交使節3人+通訳の4人を入れて19名は、4/17薩摩を出て5/28ロンドンに到着します。留学のアテンドをしたのがグラバー商会。グラバー商会のホームズに引率された19名が、香港、シンガポール、スエズ、カイロと、寄港地で見聞を広め、井の中の蛙から近代人へと変貌してゆく過程が、本書のテーマです。蒸気機関車、電信、スエズ運河掘削に驚嘆して、世界は広い、攘夷でもあるまいと云う成長は、鈴木明『維新前夜 ― スフィンクスと34人のサムライ』の方が説得力があります。  『維新前夜』で、(通商)条約破棄交渉という外交使節団の長・池田長発が開国に目覚め、勝手に「パリ条約」を結ぶという変貌の方がはるかに面白いです。

 「薩摩スチューデント」が意味を持つのは、メンバーのなかに、五代友厚、寺島宗則、森有礼がいることことです。森は当時17歳ですからこれと言ってめぼしいエピソードはありません。この使節団のリーダーである寺島(松木弘安)、留学の企画者で武器の買い付け役の五代は、後の商才の片鱗を見せ、それなりに生き生きと描かれますが、その他の留学生は西欧文明に目覚めるだけで、これと言ってドラマを生みません。

 薩摩藩の財政悪化によって1867年には留学が打ち切られます。興味を惹かれるのは、帰国組、アメリカ留学組、フランス留学に別れた彼等のその後です。
 留学当時13歳であった長沢鼎は、アメリカに渡りカリフォルニアワインの基礎を築きその地で生涯を終えます。

 帰国した村橋久成は、戊辰戦争、函館戦争を経て北海道開拓使に入り、ビールの醸造に携わります。後に雲水となって放浪、行き倒れとなって果てます。
 吉田東洋を暗殺し土佐藩を脱藩した高見弥一は、奈良原喜八郎(繁)のひきで薩摩藩士となり留学生に選ばれます。帰国後、新政府に遣えますが官を辞し、鹿児島で数学教師として一生を終えます。

 イギリス、アメリカ、フランスへの留学体験が彼らに何をもたらしたのか?。「薩摩スチューデント」の面白さはこの辺りにあると思うのですが、残念ながら本書では触れられていません。りんぼう先生には、イギリス留学後の「薩摩スチューデント」のその後を是非とも書いて戴きたいと思います。

リンク →薩摩藩英国留学生記念館
タグ:読書
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