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夏目漱石 こころ(3)両親と私 [日記(2015)]

こころこころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)
 「私」が先生と出会う「先生と私」と、この小説の核心と云うべき「先生と遺書」に間に挟み込まれるように置かれたこの短いエピソードは何を意味するのか、です。

 先生は両親を亡くし、叔父に財産を誤魔化されたために故郷を捨てた天涯孤独の故郷喪失者です。Kもまた、実家と養家から義絶され、先生同様に故郷と家族を失った都会の放浪者です。「私」は、故郷と両親兄弟を持つごく普通の青年として描かれます。

 私は、父親が病に倒れたために帰郷します。息子の大学卒業を喜ぶ父親、息子の就職を気にかける母親、そして父親の病状を気遣う私の日常が描かれます。謎に満ちた「先生と私」、自殺に至る暗い物語「先生と遺書」に比べると、おおらかでありふれた何処にでもある日常であり、この落差は明らかに作為的です。

「東京と違って田舎は蒼蠅(うるさ)いからね」父はこうもいった。 「お父さんの顔もあるんだから」と母がまた付け加えた。

 人間存在の罪に足をすくわれ自殺する世界と、息子の卒業を祝って近隣を呼び集めて宴会を催そうという世界の落差です。

「しかし卒業した以上は、少なくとも独立してやって行ってくれなくっちゃこっちも困る。人からあなたの所のご二男は、大学を卒業なすって何をしてお出ですかと聞かれた時に返事ができないようじゃ、おれも肩身が狭いから」
「お前のよく先生先生という方にでもお願いしたら好いじゃないか。こんな時こそ」母はこうより外に先生を解釈する事ができなかった。

 これが現在も変わらない世間の常識というものです。兄は兄で、無為徒食の先生について、

「イゴイストはいけないね。何もしないで生きていようというのは横着な了簡だからね。人は自分のもっている才能をできるだけ働かせなくっちゃ噓だ」

 先生は家の財産の利息で生活する金利生活者ですから、これもごくまっとうな意見。。私は、東京での先生との交流とは異る「世間の常識」と「肉親の情」に反発を覚えるのかというとそうでもなく、母親を安心させるために先生に就職斡旋の手紙を書きます。さりとて先生を忘れたわけではなく、先生と両親の間で揺れ動くといった宙ぶらりんな状況です。

 そんな中、先生の長い手紙、遺書が届きます。

「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」
その時私の知ろうとするのは、ただ先生の安否だけであった。先生の過去、かつて先生が私に話そうと約束した、そんなものは私に取って、全く無用であった。

 この時、私は先生の自殺を知りますが、遺書を通読してはいません。私は、先生の薄暗いその過去など「全く無用」であり、知りたいのは先生の安否だけだと書きます(『こころ』は「私」の書いた告白です)。漱石は、小説の中盤でこれから書く「先生と遺書」を早々と主人公に「全く無用」と言わしめているのです。そして、

思い切った勢いで東京行きの汽車に飛び乗ってしまった。私はごうごう鳴る三等列車の中で、また袂から先生の手紙を出して、ようやく始めからしまいまで眼を通した。

 危篤の父親をほっぽり出して、「とっくに死んでいる」筈の先生の安否を知るために東京に行く、これは不思議な話です。「秘密」の小森説によると、先生の安否を確かめるためではなく、ひとり取り残された「奥さん」に会うため、私は汽車に飛び乗ったのです。先生の安否を知るためではなく、先生の「奥さん」の安否を知るためにです。乃木大将が妻・静子(「奥さん」の名前は静)を道連れに自殺したことが脳裏をよぎったのかも知れません。

 「先生と私」→「両親と私」→「先生と遺書」と順を追って読むと、小説の流れの中で「両親と私」は異質です。『こころ』が先生とKとお嬢さんの物語とすれば、「両親と私」は無くてもいいわけです。先生の謎、謎解きと自殺の間に、私の両親と故郷のエピソードが挟まれている意味とは何か?。

 先生とKは両親と故郷を失った存在で、私は両親と故郷を持つ存在です。この構成から漱石の意図したものは、自殺に至る観念(思想)と肉親・故郷という土俗的・原初的なものの織りなすドラマかも知れません。「両親と私」のラストで、先生の暗い過去は無用だと断じ、私の行き先が「奥さん」であるとすれば、これは「先生と遺書」の否定であり、私は愛の理論家ではなく愛の実際家を目指したことになります。

 ”漱石の「こころ」100年の秘密”に刺激されて読んできましたが、思いのほか複雑で手強いです。感想にもなっていません(笑。
 
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