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永井荷風 『断腸亭日乗』拾い読み (昭和11~12年) [日記(2016)]

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)断腸亭日乗 02 断膓亭日記巻之一大正六年丁巳九月起筆
 映画『濹東綺譚』が面白かったので、本棚に眠っている『摘録・断腸亭日乗』(岩波文庫)を拾い読みしてみました。年譜に昭和11年11月25日『墨東』脱稿とありますからこの辺りです。いきなり、

つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染みを重ねたる女を左に列挙すべし。(昭和11年1/30)

と来ますから度肝を抜かれます。面白いので抜き書き(笑、

鈴木かつ
柳橋芸者、明治四十一年のころ
蔵田よし
浜町不動産新道の私娼、明治四十二年の正月より十一月頃まで馴染めたり、
吉野こう
新橋新翁家富松明治四十二年夏より翌年九月頃までこの女は事は余が随筆『冬の蠅』に書きたればこゝに贅せず
内田八重
新橋巴家八重次明治四十三年十月より大正四年まで(離婚)、一時手を切り大正九年頃半年ばかり焼棒杭、大正十一年頃より全く関係なし
@ふたり目の正妻ですね、焼棒杭(やけぼっくい)というのが笑います
米田み
新橋花家(成田家か不明)の抱
、芸名失念せり、大正四年十二月晦日五百円にて親元身受、大正五年正月より八月まで浅草代地河岸にかこひ置きし後神楽坂寺内に松園とい待合いを営ませ置くこと三ヶ月ばかりにて手を切る
中村ふさ
初神楽坂照武蔵の抱、芸名失念せり、大正五年十二月晦日三百円にて親元身受をなす一時新富町亀大黒方へあづけ置き大正六年中大久保の 家にて召使たり、大正七年中四谷花武蔵へあづけ置く、大正八年中築地二丁目三十番地の家にて女中代りに召使ひたり、
野中直
大正十四年中赤坂新町に囲置きたる女初神田錦町に住める私娼なり
今村栄
新富町金貸富吉某の見寄の女、虎門女学校卒業生なりと云ふ、大正十二年震災後十月より翌年十一月まで麻布の家に置きたり、当時二十五歳
十三 関根うた
麹町富士見町河岸家鈴龍、昭和二年九月壱千円にて身受、飯倉八幡町に囲ひ置きたる後昭和三年四月頃より富士見町にて待合幾代といふ店を出させやりたり、昭和六年手を切る
@荷風は腕に「うた命」と刺青を彫ったらしい
十二 清元秀梅
初清元梅吉弟子、大正十一年頃折々出会ひたる女なり、本名失念大坂商人の女
十一 白鳩銀子
本名田村智子大正九年頃折々出会ふ陸軍中将田村□□の三女
十五 黒沢きみ
本名中山しん、市内諸処の待合に出入する私娼、昭和八年暮より九年中毎月五十円にて三四回出会ひ居たり 『ひかげの花』のモデル
十六 渡辺美代
本名不明、渋谷宮下町に住み夫婦二人づれにて待合に来り秘戯を見せる、昭和九年暮より十年秋まで毎月五十円をやり折折出会ひたる女なり、年二十四

此外臨時のもの挙ぐるに遑あらず、
〔欄外墨書〕九 大竹とみ
大正十四年暮より翌年七月迄江戸見坂下に囲ひ置きたる私娼 @『かし間の女』のモデル
〔欄外墨書〕十 吉田ひさ
銀座タイガ女給大正十五年中 @『つゆのあとさき』君江のモデル
〔欄外墨書〕 十四 山路さん子
神楽坂新見番芸妓本名失念す昭和五年八月壱千円にて身受同年十二月四谷追分播磨家へあづけ置きたり昭和六年九月手を切る

都合16人の女性が登場しますが、白鳩銀子が?ですが全員玄人筋で、「帰朝以来 」ですから実質はもっといるはずです。昭和11年1/30の日記ですから、『濹東綺譚』のお雪は登場しません(お雪と出会うのは3月以降)。

2/24に
(夕方銀座に行こうと思ったが面倒なので止めて、原稿を書こと机に向かったが何となく億劫で)老懶(ろうらん)とは誠にかくの如き生活をいふなるべし。芸術の制作欲は肉欲と同じきものの如し。肉欲老年に及びて薄弱とんるに従い芸術の欲もまたさめ行くは当然の事ならむ。

 渡辺美代が「わが生涯にて閨中快楽を恣(ほしいまま)にせし最終の女なるべしや。色慾消磨し尽せば人の最後は遠からざるなり」と殊勝なことを言って次いで遺書めいたものまで書いています。この時荷風57歳ですから、老境に入りつつある頃で弱気になっているようです。
 3月頃玉の井通いが始り、《お雪》と出会います。お雪に会って、肉欲=芸術欲が復活して名作『濹東綺譚 』が生まれたわけです。『断腸亭日乗』よると《お雪》との出会いは、

今年の三、四月のころよりこの町のさまを観察せんと思立ちて、折々来りみる中にふと一軒憩むに便宜なる家を見出し得たり。その家には女一人ゐるのみにて抱え主らしきものの姿も見えず・・・。女はもと洲崎の某楼の娼妓なりし由。年は二十四、五。上州辺の訛りあれど丸顔にて眼大きく口もと締りたる容貌、こんな処でかせがずともと思はるるほどなり。(昭和11年9/7)

何とかに鶴といった書きようで、荷風はお雪がよほど気にいったようで
いつもの憩む家に立ち寄る(9/13)
いつもの家にて女供と白玉を食す(9/15)
いつもの家を訪ふ(9/19)
今宵もまた玉の井女を訪ふ(9/20)
と足繁くお雪の元に通っています。面白いのは、風邪をひいたお雪の看病をしたり、女たちの身の上話を聞いてやったり、お雪が「外出」(客に呼ばれて待合に行く)する間留守番をしてやったりと、偏屈な荷風センセイが玉の井では好々爺(○○○爺でもあるわけですが)として振る舞い歓迎されていることです。お雪との交情は、9/20から『濹東綺譚』として書き始められ、10/25に脱稿となります。
 留守番、白玉のかき氷などは 『濹東綺譚 』に描かれ、荷風の「取材」が生かされていることになります。

 荷風は山の手の良家に生まれ、アメリカ、フランスに留学し原書で小説を読み慶應の教授まで務めたというインテリです。独身を貫き、偏奇館という洋館に住み、食事は銀座のレストラン、カメラ片手に散歩するという”ハイカラ”、”モダン”なスタイルを愛する一方、三味線、清元、歌舞伎という江戸趣味の濃厚な文人です。実生活ではモダン、精神世界では懐古という二重性を持った人物です。
 荷風の好色も、花柳界から始まって女給、私娼、吉原から銀座、玉の井へ行き着きます。懐古趣味なら吉原でよさそうなものですが、そうならないところが荷風の精神構造にあるようです。荷風には玉の井のような場末の娼婦に傾斜する何ものかがあったようです。

知識階級の婦人や娘の顔よりも、この窓の女(娼婦)の顔の方が・・・むしろ厭ふべき感情を起こさせない・・・
お雪は倦みつかれたわたくしの心に、偶然過去の世のなつかしい幻影を彷彿たらしめるミューズ(女神)である。

と記します。

 玉の井は消毒剤の臭いのする溝川が流れる場末です。荷風は、玉の井とお雪に現実を離れたユートピアと女神を見ていたことになりそうです。それは、『濹東綺譚』が「綺譚」であることが何よりも物語っています。現代と隔絶した世界に住む荷風は、玉の井という虚構を借りて異界と異人を作りだしたのです。

 昭和11年は、「二二六事件」のあった年です。『断腸亭日乗』にも事件は出てきますが、荷風は日本を揺るがした「二二六事件」よりも玉の井に多くの文字を費やしいています。 

タグ:読書
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