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永井荷風 『断腸亭日常』拾い読み カメラ(昭和11、12年) [日記(2016)]

荷風踊り子1.jpg rolleicord1-main.jpg

 荷風が浅草の踊り子と写っている写真は有名です。この写真は荷風持参のカメラで撮ったものではないかと思います。荷風は、カメラを携えて散歩し、おもむくままに風景をカメラに収めています。昭和11年の「日乗」を読むとそんな記載が多く見られます。
久邊留(銀座の喫茶店)に往く。安藤氏に詫して写眞機を購ふ金壱百四圓也(昭和11年10月26日)
 荷風が何時頃からカメラを趣味にしていたのか分かりませんが、この後カメラの記載が頻繁に登場します。荷風のカメラはローライコードⅠ型という二眼レフのようです。荷風が慶應義塾の教授時代の月俸が150円ですから、壱百四圓というと結構な金額です。

此の日薄晴。風なく暖なれば墨堤に赴き木母寺其他二三個所の風景を撮影し・・・(11/16)
曇りて蒸し暑し。午後三菱銀行に征き、それより電車にて今戸橋に至り山谷堀の景を撮影すること二三枚(11/18)
快晴雲翳なし。午後本所五ノ橋自性院に征き境内の景を撮影して後大島町の大通りを歩む(11/20)

撮影は風景ばかりではなく人物もあります、
天気快晴。昨の如し。三階物干し場に出で、娼妓の寫眞を撮影す。江戸町の通りを見下ろすに裏木戸近きあたりに女ども打ちつどいて猿廻しを看る。此の光景も亦カメラにをさむ(昭和12年6月11日)

撮影だけではなく現像も自分でやっていたようで、荷風のカメラ趣味は相当なものです。
・・・空腹に堪えざれば直ちに銀座に赴きて夕飯を喫す。帰宅の途上氷を購い家に入るや直ちに写真現像をなす(昭和12年9月3日)
 
快晴の空雲翳なし。午後笄町長谷寺墓地を歩む。門内は本堂建直しの最中なり。古き渋塗の門に補陀山の額あり。大正三、四年のころ写真写しに来たりし時見しところに異ならず。旧観喜ぶべし。(昭和12年2月21日)
とあり、大正3~4年の頃には荷風のカメラ趣味は始まっていたことになります。

 カメラを持って散歩し、風景を写し人物を写し事象を写す、荷風の趣味は現代人とほとんど変わりません。荷風の撮った写真は相当の枚数にのぼると思われます。荷風のは、『日乗』をまずペンで書き、毛筆で清書して和綴じの本にしたようですから、写真もアルバムとしてきれいに整理されていたことでしょう。写真は、昭和20年の東京大空襲で消失したと思われますが、残っていれば『日乗』同様貴重な資料となったことでしょう、残念。
 荷風は洋館に住みホテルの食堂や街のレストランで食事をする一方、下町情緒あふれる築地や浅草を愛した文人です。荷風の写真撮影は、前者の西洋趣味で江戸を撮したことになります。以下蛇足、

晩間烏森に飯す。藝妓閨中の艶姿を写眞に取ること七八葉なり(昭和11年12月26日)
余はフイルムを購ひ家にかへり夕飯の仕度をなす程に美代子の情夫W生まづ来り、ついで美代子来る。写眞撮影例の如し(昭和12年2月28日)
この美代子情夫W生というのは、例の「帰朝以来馴染みを重ねたる女」にある「夫婦二人づれにて待合に来り秘戯を見せる」という渡辺美代のことです。ここまで来るとちょっとやり過ぎではないかと思うのですが、『四畳半襖の下張』の作者ですから...。案外、こういう危ない写真のために荷風は現像技術を身につけたのかもしれません(笑。

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)

タグ:読書
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