和田竜 村上海賊の娘 [日記(2016)]
石山本願寺(大阪城)と織田信長の戦いを背景に、村上水軍の姫の活躍を描いた時代小説です。時代は天正四年(1576)。信長は対抗勢力である大名と和議を結び、敵対勢力は毛利などの西国大名と一向宗の宗教勢力となります。比叡山を焼き討ちにし長島の一向一揆を鎮圧した信長は、頑強に抵抗する石山本願寺を包囲します。本願寺には、門主顕如を筆頭に雑賀孫市をはじめとする信徒5万余。5万の人間が静かに飢え始めます。信長と戦うためには、5万人を養う兵糧が10万石。陸路は信長軍に押さえられているため、唯一の補給ルートは大阪湾。孫市は、10万石を毛利に、その輸送を村上水軍に依頼し、「村上海賊の娘」景姫(キョウひめ)の登場となります。
景姫は、奸婦にして醜女ということになっています。戦いを好む男勝りだから「奸婦」。その容貌は、
貌は細く、鼻梁は鷹の嘴のごとく鋭く、そして高かった。その眼は眦(まなじり)が裂けたかと思うほど巨大で、眉は両の眼に迫り、眦とともに怒ったように吊り上がっている。口は大きく、唇は分厚く、不敵に上がった口角は、鬼が微笑んだようであった。
下膨れで引目鉤鼻おちょぼ口が美人の典型だった時代に、この彫の深い顔立ちの景姫は「醜女」だったわけです。おまけに淑やかさは微塵もなく、男どもに混じって海賊働きをする活発な女性。で、嫁の貰い手が無く二十歳の独身、結婚願望アリ。つまり、二十歳の現代的美人が縦横無尽に暴れまわるという「活劇」です。
その言葉通り、
「皆、見てみい。さすがは姫さんや、えらい別嬪さんやで」
眞鍋の兵の一人が、感極まったように叫んだ。他の兵も一斉に、
「おいよ!」
と賛同の叫びで応じた。
目の前でいよいよ鮮明となった景の美貌に対する感嘆であった。
(いいわあ、この感じ)
縄梯子の上で景は、しみじみと目を閉じ、我が美貌への称賛が降り注ぐのを全身で受け止めた。
瀬戸内では奸婦で醜女だった景が、難波では「別嬪さん」となります。時代小説に「いいわあ、この感じ」はないと思うもですが、この辺りが「本屋大賞」の所以かもしれません。
難波で景を待っていたのは、淡輪の海賊、眞鍋七五三兵衛を始めとする泉州三十六郷士の地侍達。 (関西弁ともちょっと違う)泉州弁でまくしたて、独特の美意識で自らを飾る侍たちに、景はモテまくります。この泉州侍というのが、なかなか愉快な存在です。一万三千の本願寺の軍勢に三百で挑みかかる七五三兵衛を同じ泉州侍はこう評価します、
並の者が逆立ちしてもできぬ壮挙を為した男に向けて放ったのは、この賛辞だ。
「阿呆やで、あいつ!」
アホという蔑みの言葉が褒め言葉となる、関西独特の気風と泉州弁がこの小説の持ち味です。アホとバカ違いです。
上巻では、景と本願寺門徒、泉州侍との出会い、雑賀孫一に率いられた本願寺門徒と信長勢が戦う木津砦及び天王寺砦の戦い(5月)が描かれ、下巻では、本願寺に兵糧を運び込む村上水軍と、木津川口を封鎖する泉州海賊との戦い、木津川口の海戦(8月)が描かれます。 主人公は景姫ということになっていますが、真のヒーローは淡輪の海賊、眞鍋七五三兵衛と泉州侍達でしょう。↑のような泉州弁が至るところに飛び出し、死を笑い飛ばしカッコよく生きることを身上とする彼等の美学が描かれます。
戦闘場面がかなりの比重を占めます(というか、それしかない)。七五三兵衛の放った銛が、村上水軍の兵士数人を串刺しに壁に縫い付け、村上水軍の炮烙玉が爆発し船を沈める辺りは、小説というよりほぼハリウッドのアクション映画。硝煙のなかヒロイン景姫が刀を振るって暴れまわることになります。これを面白いと感じるかどうかが、本書の評価の分かれ目でしょう。
木津川口の戦いは、海賊と海賊が戦う海戦で、鶴翼の陣に展開する村上水軍に、魚鱗の陣で突破を試みる七五三兵衛、勝敗を分ける潮目と、なかなか楽しませてくれる場面もあります。
タグ:読書
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by 村上水軍の末裔 (2017-06-16 11:41)