SSブログ

高橋和巳 悲の器 (1996河出文庫) [日記(2018)]

悲の器―高橋和巳コレクション〈1〉 (河出文庫)

蹉跌
 東京大学を連想させる国立大学の刑法教授・正木典膳の躓き、蹉跌の物語です。典膳は、現象学的法学理論(確信犯理論)を構築し、法学部長の地位にあり、政府の審議会にも名を連ねる公法の重鎮。

 典膳は、妻・静枝が癌で闘病中、家政婦・米山みきと5年間の交情を続け、妻の死後、親子ほども歳の離れた栗谷清子と婚約します。妻の座を期待していた米山みきは、「婚約不履行および共同生活不当破棄による損害賠償請求の訴え」を起こし、雑誌に典膳を非難する手記を発表します。典膳は米山みきを名誉毀損で訴え、刑法学者はこの思わぬ「痴情事件」によって破滅への道を歩み始めます。警職法反対闘争に言及されていますから、舞台は昭和33年頃です。

 何処にでもある三角関係のもつれが、象牙の塔に隠る刑法学者によって演じられるところが、この小説の眼目です。何よりも論理と明晰を重んじる学者が、愛という非論理の世界に絡め取られる物語、刑法学者の「罪と罰」の物語です。

転向
 正木典膳の蹉跌は痴情事件から始まった訳ではなく、ずっと以前、昭和初年から始まっています。時代は、滝川事件に端を発する京都帝大に言論弾圧の嵐が吹きすさぶ頃。典膳の所属する研究室の助教授が特高に逮捕されて大学を追われ、助手はアナーキストとなって大学を去ります。ふたりは権力に媚びなかったため大学を追われ、典膳は媚びたわけではなかったものの、沈黙することで逮捕を免れます。さらに、大学から地裁検事に転出することで時代から、「暗い谷間の時代、観念の屠殺場」から逃れたことになります。
 戦後大学に復帰した典膳は「現象学的法学理論」を完成させ、法学部長となり次期学長と目されるまでに上り詰めます。

確信犯
 大学教授という知識人が主人公である『悲の器』は、観念的で衒学的な小説です。典膳は、「現象学的法学理論」を打ち立てますが、この「理論」の核心は「すべての犯罪は確信犯である」。確信犯罪とは何か? 、

 人の意識そのものが、フッサールも言えるごとく、すべてノエシス・ノエマ的相関体である以上、すべての行為には、所与性とともに能作性がある。何もしないでいることにも、過失の中にも、試行錯誤の中にも。人が自由であることを認める以上、すべて行為の行為責任は、その行為をなした行為者に帰せられねばならないからだ、云々。

 ゆえに、「すべての犯罪は確信犯である」ということになります。『悲の器』では、こうした衒学的記述が随所に散りばめられ、典膳を法と論理の権化として描き、典膳が法と論理で人を裁断する様が描かれます。
 現象学は認識の方法論?で、確信犯は自己の理念や正義に基づいて行われる犯罪ですから、すべての犯罪は確たる認識に基づいて行われ、ついウッカリという過失はなということでしょう。そうすると、人の行動も当然確信によってなされるわけで、典膳が米山みきと関係を持ち、関係を持ちつつ栗谷清子と婚約したことも、また確信「犯」と言えます。犯罪に至らずとも人倫にもとると考えた米山みきは訴訟を起こし、栗谷清子は婚約を解消したわけです。不思議なことは、典膳はこの自ら起こした「犯罪」を一度も自身の法理論で検証していないことです。典膳のなかで、刑法学者と三角関係が見事に両立していることです。

裁断
 典膳の裁断者は、地方大学で経済学を教える次弟典次、キリスト教司祭である末弟規典、醸造学の研究者である息子茂です。
 典次は、理想社会が訪れたら人間が直面する問題は何か?と問い、典膳を愛の問題へと誘導します。茂は、米山みきの言動を主婦の井戸端会議で見られる「情動言語」であるとし、学者として論理的であろうとする典膳が「情動言語」を理解できなかったことを訴訟騒動の原因であるとします。宗教者である規典は、典膳を弾劾します、

 リベラルな態度、中正な法解釈、穏健な保守主義を身にまとい、人々の信頼を得、地位を獲・・・あなたは、何人の介入をも許さぬ審判者となり、憐れみつつ人に慈悲をたれる絶対者になった。・・・神のごとく薄笑いしながら、何人の心貧しき人々を、何人の使徒を、何人の異教徒を〈試し〉たか。

 三人とも、典膳が、学問に向ける思考法(論理)だけで人間関係を理解し、人と人が結ぶ絆や「情」を無視した(理解できなかった)ことを非難します。米山みきとの関係は、家政婦と雇い主の雇用関係であり、肉体の関係はお互いが「確信」して結んだ関係であり、結婚の約束をしたわけではないから「婚約不履行および共同生活不当破棄」には当たらない、という理屈です。米山みきは妊娠中絶までしていますが、強要はしなかった、米山みきの自発的な行為だ、胎児殺しは殺人罪には当たらないと、云々。

 男女の泥試合をえんえんと読まされることになります。典膳が身に纏ったフッサールもヘーゲルもマルクスの衣装も、米山みきによって徹底的に剥がされますが、典膳自身はそれに気づかない(気づかないフリ)という悲劇というより、喜劇です。

倨傲
 典膳の躓きはなおも続きます。自治会役員の停学処分の撤回を求め寄った学生たちとの小競り合いが生じ、その内のひとりが「卑劣漢」と罵ったことで、典膳は学内に警察を入れます。「大学の自治」を教授自らが放棄する行為です。典膳は形式上の進退伺いを学長に提出し、「進退伺い」は一人歩きし、典膳は辞任に追い込まれます。
 典膳はひたすら滅びの道を墜ちてゆきます。

 私は死んでも、私には闘いの修羅場が待っているだろう。私を踏みつけにせんとする悪魔どもがつぎつぎとあらわれ、現れつづける。わが待望の地獄が。私は慈愛よりも酷烈を、奴隷の同情よりも猛獣の孤独を欲する。私は権力である。私は権力でありたい。天国の天使たち、天国に憧れる人間どもの上に跳梁し、人間どもの善行や悪行、人間どもの生や死、人間どもの幸福や不幸、それら一切の矮小なものときっぱり絶縁し、平然と毒杯をあおりながら哄笑したい。・・・
 さようなら、米山みきよ、栗谷清子よ、優しき生者たちよ、私はしょせん、あなたがたとは無縁な存在であった。(完)

 一言で片付ければ、何処にでもあるありふれた三角関係の物語です。高橋和巳は、何ゆえ、正木典膳という人間を創造し、完膚なきまでに破壊したのか?、です。おそらく、インテリゲンチャを素材に高橋版『罪と罰』を書きたかったのでしょう。高橋版にはソーニャが登場しません。栗谷清子をソーニャにしたかった筈ですが、典膳を地獄に墜とす方を選択したようです。

 高橋和巳は、昭和27年頃から処女作『捨子物語』を書き始め、33年に自費出版。34年に「VIKING」同人となり「『憂鬱なる党派』を連載しながら、他方、ひっそりと『悲の器』を書き続け」、37年にこの小説で第一回文芸賞を受賞しています。(高橋たか子『高橋和巳の思い出』)

タグ:読書
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。