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ドナテッラ・ディ・ピエトラントニオ 戻ってきた娘(2021小学館) [日記 (2021)]

戻ってきた娘
 新聞の書評で知り読んでみました。イアタリでベストセラーとなり文学賞を受賞、28ヵ国で翻訳出版されているようです。

戻ってきた娘
 ある日突然、両親は実の両親ではなく自分は養子であることを知らされ、アンタは明日から実の両親の元で暮しなさい、と実家に戻された13歳の少女「わたし」の物語です。

 「養家」は、警察官の父親と教会で教理問答を教える母親という中流家庭。一人娘ですからスイミング教室に通いバレーを習うという恵まれた生活。一方「実家」はというと、煉瓦職人の両親の下に5人の子供がアパートの狭い部屋にひしめく貧しい家庭。13歳まで一人っ子だった「わたし」は、17歳の長男を頭に3人の兄、妹のアドリアーナ、弟ジョゼッペの5人の兄弟を持つことになります。

 ふたりの母親が又従兄弟同士だったことで、子供に恵まれない育ての母アダルジーザが生後6ヶ月の「わたし」を養子に貰い受けます。ところが、13年後産みの母の元に帰されます。実の両親が望んだと説明されますが、両親にそうした様子はありません。なぜ養家から実家に戻されたのか?、これは「わたし」の最大の疑問であり、ミステリーとして読めばこの小説が孕む「謎」。多感な13歳の少女「戻ってきた娘」がこの運命に挑む物語です。

自分がこの世に存在する理由が見つからなかった。「お母さん」という言葉を百回ぐらい繰り返し唱えるうちに、意味がことごとく消え失せて、単なる口の体操となってしまうのだった。
二人の生きた母親を持ちながら、わたしは孤児だった。一人はまだ乳飲み児のわたしを手放し、もう一人は十三歳のわたしを産みの親に押しつけた。要するにわたしは、秘められた偽の血縁関係、別離や隔絶の落とし子だったのだ。もはや自分が誰に帰属するのかわからなかった。
わたしは荷物じゃない!勝手にあっちへやったりこっちへやったりしないで。お母さん!

アドリアーナ
 家族の多い実家で、「わたし」は掃除、洗濯に食事の用意までやらされ、家事などやったことがないので失敗の連続。3歳年下の妹アドリアーナから「鉛筆以外持ったことがないの?」と皮肉られる始末。アドリアーナだけは、実の父母、兄弟に邪魔者扱いされる「わたし」に親切。

アドリアーナは買い物のやりくりも上手だった。八百屋でジャガイモを一キロ買うと、人参と玉葱をおまけしてもらって野菜スープの材料にしたし、肉屋へ行けば、挽き肉を二百グラムだけ買って、飼ってもいない犬のために屑肉を分けてもらった。むろん屑肉も茹でて、自分たちで食べるのだ。
「付けにしておいて。月末には父さんが支払いに来るから」

面白いのは、世間知に長けたしっかり者のアドリアーナが、10歳になってもオネショが治らないこと。このキャラクターはなかなか魅力的で「わたし」の物語を後ろからしっかり支える存在です。実家に戻ったその夜、ベッドない「わたし」はアドリアーナのおねしょの匂いの染み付いたベッドでいっしょに寝かされます。『戻ってきた娘』は、このふたりの物語とも言えます。

あの二人はいつも、姉ちゃんのことを好き勝手にあっちへやったりこっちへやったりして、あんまりや。反抗しないん?
・・・もう絶対に離ればなれにならないって誓いを立てようよ。姉ちゃんがここを出てくなら、うちもついてく

アドリアーナもまた「わたし」を手がかりに運命からの脱出を目論んでいます。ラストで、なぜ実家に戻されたのかという謎、「大人の事情」が明かされますが、この事実を「わたし」に告げるのまたアドリアーナ。

 『戻ってきた娘』は、イタリア半島中部のアペニン山脈麓の村を舞台に、戻ってきた娘「わたし」とアドリアーナ、ふたりの少女のビルドゥングスロマンです。『戻ってきた娘』がベストセラーとなったのにはイタリアの事情があるようです。「訳者あとがき」によると、

当時のイタリアでは、親同士の合意だけで、子沢山の家庭から子どものいない家に乳幼児が引き取られるということは、頻繁に起こっていたらしい。・・・養子縁組法がイタリアで整備しはじめられるのは、一九六七年のことだ。

イタリアならではの背景があるようです。2020年には本書の続編、「わたし」とアドリアーナの物語『ボルゴ・スッド(Borgo Sud)』が刊行されたようです。アドリアーナのその後は是非読んでみたいです。

タグ:読書
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