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吉行淳之介 驟雨(1966新潮文庫) [日記 (2022)]

原色の街・驟雨 (新潮文庫)
 「娼婦」は小説家にとって興味のある対象のようで、永井荷風には玉ノ井の娼婦・お雪との交情を描いた有名な『墨東綺譚』があります。『驟雨』(1954年芥川賞受賞作)もまた、若いサラリーマンが新宿の「赤線」の娼婦に傾斜する物語です。恋愛の相手が娼婦であっても何の不思議でもありません。

 英夫が道子と待ち合わせの場所に急ぐシーンから始まります。

その女を、彼は気に入っていた。気に入る、ということは愛するとは別のことだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ持つことだ。・・・そこに愛情の鮮烈さもあるだろうが、わずらわしさが倍になることとしてそれから故意に身を避けているうちに、胸のときめくという感情は彼と疎遠なものになって行った。

 そうした人間関係への用心深さから、英夫は娼婦を「買う」わけです。放蕩児の言い訳のようにも聞こえますが、「精神の衛生に適っている」と考えます。ところが、待ち合わせの場所に急ぐ彼の胸は「ときめき」ます。英夫は、道子に娼婦以外の感情を抱き「自分の分身を一つ持つこと」によって「煩わしさ」を抱え込むわけです。『驟雨』は、その「ときめき」と「煩わしさ」の物語です。

 英夫は、道子の部屋の壁に貼った女優のグラビア写真が巧みにトリミングされていることに感心し、湯飲みを差し出す仕草に道子に茶の湯のたしなみがあると感じます。荷風がお雪を「鶏群の一鶴」(掃き溜めの鶴)と考えた様にです。道子は「次に来るまで操を守っている」と告げ、英夫は娼婦の操などたかが知れていると思いながら、傾斜を深めるわけです。

女をこの地域の外の街に置いて真昼の明るい光で眺めてみたら、その興味は色褪せる筈だ。

ところが色褪せず、道子の鏡台に安全剃刀の刃を発見して、見知らぬ客に嫉妬する始末。本書の解説(長部日出雄)の受け売りになりますが、男女の関係は普通は恋愛 → 肉体関係至りますが、娼婦を扱った小説では逆転し、肉体関係 → 恋愛となります。この逆説によって娼婦を題材とした小説が成り立っています。恋愛は、肉欲を超越した形而上の何かによって成り立っているわけです。
 道子がどういう人間であるかという以前に彼女を「気に入って」しまいます。人と人の関係は誤解から成り立っているとするなら、英夫は道子という鏡に写った自らが産み出した幻を見ているわけです。娼婦を愛した結末はどうなるのか?。

 英夫は、友人の結婚披露宴に参列した日、道子の元を訪れます。その翌朝、彼女と喫茶室に入り不思議な光景を目にします。

道路の向う側に植えられている一本の贋アカシヤから、そのすべての枝から、夥しい葉が一斉に離れ落ちているのだ。風は無く、梢の細い枝もすこしも揺れていない。葉の色はまだ緑をとどめている。それなのに、はげしい落葉である。それは、まるで緑いろの驟雨であった。ある期間かかって少しずつ淋しくなってゆく筈の樹木が、一瞬のうちに裸木となってしまおうとしている。地面にはいちめんに緑の葉が散り敷いた。

 英夫は友人の結婚披露宴に参列した翌日に、道子と一緒にこの光景を見ます。一方に結婚による妻という女性があり、もう一方に娼婦が居ます。英夫がその間で揺れているとするなら、驟雨=落葉は、道子という憑き物が落ちる象徴と言えそうです。「緑いろの驟雨」を見た後、英夫は道子と別れますから、道子という妄想から自由になことで、人生の次のステップに足を掛けたわけです。

 『墨東綺譚』における荷風とお雪の別れも「驟雨」、

季節は彼岸に入った。空模様は俄(にわか)に変って、 南風に追われる暗雲の低く空を行き過る時、大粒の雨は礫(つぶて)を打つように降りそそいでは忽(たちま)ち歇(や)む。
・・・風雨の中に彼岸は過ぎ、天気がからりと晴れると、九月の月も残り少く、やがて其年の十五夜になった。 前の夜もふけそめてから月が好かったが、十五夜の当夜には早くから一層曇りのない明月を見た。わたくしがお雪の病んで入院していることを知ったのは其夜である。墨東綺譚)

 荷風は、驟雨の中、お雪が荷風のコウモリ傘に飛び込んできたとで出逢います。荷風は驟雨とともにお雪と出逢い驟雨とともに別れたことになります。吉行淳之介もまた。『驟雨』は、娼婦を愛するという物語で、男女の関係の実相を描いた、と言えます。
 1957年売春防止法が施行され、表向き「赤線」は消えましたが、『驟雨』は紛れもない恋愛小説の名作です?。吉行淳之介は今では誰も読まないでしょうが。

タグ:読書
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