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芥川龍之介 南京の基督(1920青空文庫) [日記 (2022)]

南京の基督 芥川龍之介はドラマチックな設定の中で人間の姿を写した短編に特徴があります。『南京の基督』は、梅毒を患った基督教徒の娼婦の話です。若い日本の旅行家が娼家を訪れます。

 少女は名を宋金花と云つて、貧しい家計を助ける為に、 夜々 その部屋に客を迎へる、当年十五歳の私窩子であつた。
 
 「私窩子」とは私娼のこと。金花は噓もつかなければ我儘も言わず、気立ての優しい少女で、病気の父親を養うため娼婦となったようです。旅行家は金花クリスチャンであることを知って「こんな稼業をしていたのでは、天国に行けないと思わないか」と問います。金花は、
 
天国にいらつしやる基督様は、きつと私の心もちを汲みとつて下さると思ひますから。――それでなければ基督様は 姚家巷の警察署の御役人も同じ事ですもの。
 
男は金花に翡翠の耳環を与えます。ちなみに芥川龍之介は『上海遊記』で女性の耳に対する偏愛を吐露していますw。
 
 翌年の春、男は再び金花の元を訪れ、彼女から一夜南京に降つた基督が彼女の病を癒したという不思議な話を聞かされます。金花は客から梅毒をうつされ、移された病は他の客に移せば治るとという同僚の助言に耳を貸さず、頑なに客を取らず困窮したといいます。そんな中、彼女を買いたいと言う一人の外国人が金花の元に現れ、彼女は断ります。金花は、外国人の顔に見覚えがあるやうな、一種の親しみを感じたと言います。
 
十字架に彫られた、受難の基督の顔を見ると、不思議にもそれが卓の向うの、外国人の顔と生き写しであつた。
金花は髯だらけな客の口に、彼女の口を任せながら、唯燃えるやうな恋愛の歓喜が、始めて知つた恋愛の歓喜が、激しく彼女の胸もとへ、突き上げて来るのを知るばかりであつた。……
 
男に身を任せて金花は桃源郷をさまよい、気づけば男は去り病は治っていたというのです。敬虔な信者である金花の元に基督が現れ病を治して去ったという因果噺です。旅行家の男は、
 
おれはその外国人を知つてゐる。
 
男は電報局の通信員で、基督教を信じている南京の「私窩子」を一晩買つてその女が眠つている間にそっと逃げて来た、という話を得意気に話しているのを聞いたというのです。その後、男は悪性な梅毒から、とうとう発狂してしまったと言います。
 
この女は今になつても、ああ云ふ 無頼な混血児を耶蘇基督だと思つてゐる。おれは一体この女の為に、蒙を啓いてやるべきであらうか。それとも黙つて永久に、昔の西洋の伝説のやうな夢を見させて置くべきだらうか……
 
 その外国人は基督ではない、と真実を告げ金花の蒙昧を啓いてやる、それともこのまま基督が病を治してくれたという夢を見させておくべきか、というわけです。病の再発は無いのかと問う旅行家に、
 
ええ、一度も。金花は西瓜の種を 嚙 りながら、暗れ晴れと顔を輝かせて、少しもためらはずに返事をした。
 
と小説は終わっています。『南京の基督』については、様々な評価・解釈がなされているようです。個人的には、娼婦=聖女伝説のアイロニーとともに、後年「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」を動機に自殺した芥川にとって、信じるものを持つ金花は理想だったのでしょう。小説のテーマより、金花の存在が鮮明です。

タグ:読書
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