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吉村 昭 大黒屋光太夫 [日記(2007)]

大黒屋光太夫 (上) (新潮文庫)

大黒屋光太夫 (上) (新潮文庫)

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 文庫


 18世紀末、難破漂流の後ロシアを経てラクスマン(子)とともに帰国した伊勢・白子浦の船頭、大黒屋光太夫の苦難の漂流たんである。帰国嘆願の為に光太夫が踏破した距離は数千km、10年の歳月に及ぶ。出航時17名であった乗組員はわずか6名となり、日本に帰国できたのは3名という過酷な旅を、光太夫の望郷への思いを主旋律に、水主(船員)達の病や死、ラクスマン(父)との友情、ロシア人よる支援などを描いた歴史ロマンである。
 興味深いのは、光太夫以前にもロシアに漂着した日本人の存在でる。彼らは帰国を許されず、イルクーツクの日本語学校の教師としてロシアに帰化せざるを得なかった。望郷の念押さえがたく、後に来るであろう日本人に自分の存在を伝えるため息子達に日本語を教えた。これらの漂流日本人の子供達と光太夫の出会いにも感動させられる。妻帯し子を成し愛する家族を持ちながらも(故国に帰れない点を除けば、おそらく当時の平均的日本人としては恵まれたせいかつであったろうと想像される)、望郷の思い断ちがたく異境で果てた日本人の姿は、この物語に留まらず、時代を超えて広く世界に存在した筈である。戦争で異国に遺棄された人々、異国に拉致された人々、そして望郷を遺伝子として受け継ぐ人々は現在も多数存在することに思い至る。
 もう一つの悲劇は生き残った漂流民5人の去就である。凍傷にかかって片足を切断したひとりは、帰国を断念してロシア正教に改宗し帰化した。異教徒故に同僚を墓地に葬ることを拒否され、凍土に遺棄せざるを得なかったひとりも、自らの行く末を憂え改宗し帰化した。過酷な運命が、帰国できない2名と帰国できた3名を分かつのである。
 これら日本漂流民同様、光太夫も一旦はロシア政府によって帰国を拒否される。だが何故光太夫だけが帰国できたのか。それは、ラクスマンをはじめ多くのロシア人から支援を引き出した彼の人間としての魅力と、何よりも帰国への情熱であったと作者は語る。18世紀末にロシアの大地を数千kmにわたって踏破し、10年の歳月をかけて故国の地を踏んだ日本人がいたという事実に感動する。
 帰国後の光太夫は、幕府により薬草園に半ば幽閉されたと何処かで読んだが、本書によると(資料の裏付けもあるらしい)外出も比較的自由であったらしく、後には伊勢白子にも帰郷している。波乱に富んだ前半生に比べ、妻帯し子を成し、多くの蘭学者との交流もある穏やかな後半生を送ったらしい。
 大黒屋光太夫を主人公とした物語には、井上靖の『オロシア国酔夢譚』がある。
三重県鈴鹿市にある大黒屋光太夫記念館 →http://www.edu.city.suzuka.mie.jp/kodayu/

少し辛目 →☆☆☆


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